ココロミにきみ

本と体とプログラミング

本 マチネの終わりに

「マチネの終わりに」平野啓一郎さん著。

 これはやはり幸せな話だと思う。

どこにでもいる愛し合う人たちがいて、それぞれが抱える問題があり、さらに相手の悩みを受け止めたいけど、自分の悩みは相手に背負わせたくないという葛藤があり。その遠慮がまた相手を傷つけて。そこに第三者の思惑が絡んできて、二人は望みとは違う人生を歩み始めてしまう。ある時、ふと気づくとそれぞれが別の形の、望んだものとは違う形の幸せを実現してしまっている。

全部の願いは叶いはしない。一番の願いが叶うかどうかも分からない。他人の邪魔を呪うこともきっとある。あの時、こうだったら…という思いを噛み締めながらも、その時に出来ること全部やったか?と言われればきっと黙るしかない。

理不尽さも含めて、二人がそれぞれに人生を受け止めているからこそ、この話が幸せな印象を与えるんだと、やっと分かった。 

マチネの終わりに

マチネの終わりに

 

 個人的な経験で、遠距離恋愛をしてたときにメールの不具合が二人の関係に響いたことがあった。セキュリティ・システムが知らないうちに変更されたせいで、いままで届いていたメールが届かなくなり、お互いにメールを送ってるのに全然返事がこないことにやきもきしつつ、忙しいのを邪魔するのも悪いしと遠慮しつつ。

じゃあ電話してみればよかったのに、もしくは気になるなら直接会いに行けば良かったじゃん?というのはその通りだと思う。でも、その時は連絡が取れないことがたいしたことだと思わなかった。これはちょっとしたことで、すぐになにか原因(忙しさのピークが過ぎて返信がくるとか)がわかって解決するだろうと思っていた。

振り返ってみるとそれは結構重要なターニング・ポイントだった。メールトラブルの話は解決したのだけど、心に大きな傷を残した。お互いに相手が悪いわけじゃないのは知っているけれど、心に受けたダメージが帳消しになるわけでもなかった。

その後、僕側に問題があって別れてしまったのだけど、メールトラブルは別れるに至る上で少なくない役割を演じたと思う。(その時はメール会社の人を「なんてことをしてくれたんだ!」と結構恨んだ)

そして僕はこの個人的な経験をまだ、幸せな過去として捉えることができずにいる。またいつかこの本を読む時に、もしくは死ぬまでに幸せな経験として捉え直せるようになるのが個人的な課題だと思っている。