ココロミにきみ

本と体とプログラミング

本 経済数学の直観的方法

「経済数学の直観的方法」長沼伸一郎さん著。

マクロ経済学の数学的な根本を、科学の発達の歴史に応じた理解で紐解いてしまう。こーゆー本に出会えるのは本当に幸せ。

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すべては1661年のフェルマーの原理が始まり。それは「光はそのかかる時間が最小限になるように、水の中やガラスの中の進む経路を選ぶ」というもので、この原理を当時の人々は神の摂理の現れだと考えただろうと。そこに2体問題を解決する天体力学の発達と微積分の発見が加わって、最小値を求めるラグランジュアン力学が続き…(経済の)動的平衡理論までは大筋理解できてしまう。(高校までの数学はがんばって追う)

つまり、経済政策を決めてる人たちの頭の中にあるのは、2つの要素の最大効率(もしくは無駄を最小限)にすることを、頭のなかでトレードオフして考えているのだと。天体力学とフェルマーの原理から基本形はなにも変わっていない。ちなみに3つ以上の要素の最適解は基本的に解けないことも、フェルマーの時代から変わっていない。

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経済数学の直観的方法 マクロ経済学編 (ブルーバックス)

経済数学の直観的方法 マクロ経済学編 (ブルーバックス)

 

余談として、社会現象から大づかみで帰納法的(マクロ的)にその構造を理解するケインズがヨーロッパではokなのにアメリカでは受け入れられず、ミクロ現象(個人)から演繹してマクロ(社会)に繋がるまでの理屈を確立できたときにアメリカで受け入れられた、という話はメカラウロコだった。

著者は言葉にしていないが、帰納的か演繹的かという手法の選択の仕方が、カトリック(ヨーロッパ)とプロテスタントアメリカ)のそれぞれのイメージに合ってる気がするのは自分だけか。

さらにこのイメージの続きとして、「個人をたしても、集団(だけが持つ力)にはならない気がするけど、そこはアメリカ的にはOKなのかな?」と直観的に思ったのだけど、その発想は福岡伸一さんの「世界は分けてもわからない 」や「動的平衡」が自分に深く浸み込んできたからそう思ったんだなと。感慨。

ちなみに現在流行りのDeep Learningの発想は、ミクロな現象(ニューロンの一つ一つの振る舞い)を演繹させて、マクロな現象に繋げるという方法論だが、まさにこれはアメリカ的だと思う。もしこれが行き詰まったら、そのあとは理屈から言えば、マクロからの帰納的なAIの発想の余地は残されていると思う。それが出来るのはヨーロッパ人や日本人などかもしれない。

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一つのアイデアを理解することで次々に考えることが増える、本当に面白い本に出会った。