「万引き家族」是枝監督
映画を見て、他人と話してみてやっと、「家族は捻れていて・歪んでいて当然」という思いに至った
その歪みから目をそらさずにいれば、ほどほどに家族は上手くいく(かもしれない)
逆に、歪みをないものとして扱うと・・・どうなるんだろう?
* * *
映画の中では、血縁なんだか地縁なんだか単なる縁なのか、よく分からない人たちが、一緒に暮らしている
そして、それぞれの主人公はそれぞれに歪んで、他人から何かを受け取って(かっぱらって)生きている
いつ終わるか、明日終わるかもしれない暮らしの中で、お互いに少しずつ気を配りあい、一緒にご飯を食べ、眠る彼らは、なんだか幸せに見える
・・・野生の動物の群れのように
* * *
主人公たちのような不安定な、プライバシーもない、部屋も汚い暮らしはいやだ!(そもそも万引きは犯罪だし!)って思う反面、お互いの距離感が心地よくもあり、憧れも感じる
お金があったって、いい家に住んでいたって、この映画の中のような人間関係が得られない人たちは、それこそごまんといる
主人公たちは「ずっと続く幸せなんていう幻想」は抱かずに、「いまここに一緒に居られる幸せ」の中に生きている
* * *
時間は過ぎていき、その、ほのかに幸せな集団にも変化が訪れる
* * *
野生動物の群れでは、若い個体は新たな集団を作るためにそこを出ていき、病気になったり怪我をした個体は、集団からそっと外れて(外されて)ゆく
映画の主人公たちは、ある意味、人間社会に紛れ込んだ野生動物の群れだが、野生動物の「掟」に従うと、人間社会では時々「犯罪」になる
* * *
誰の中にも野生動物の「掟」はたぶんまだ残っていて、その「掟」と人間社会との軋轢が、その人の「歪み」になるんじゃないか?
そして、家族は、家族のお互いの「歪み」を認めて、全体として新たな「歪み」を引き受けることで、成り立っているんだろう
とても面白かった