ココロミにきみ

本と体とプログラミング

映画 万引き家族

万引き家族」是枝監督

映画を見て、他人と話してみてやっと、「家族は捻れていて・歪んでいて当然」という思いに至った

その歪みから目をそらさずにいれば、ほどほどに家族は上手くいく(かもしれない)

逆に、歪みをないものとして扱うと・・・どうなるんだろう?

gaga.ne.jp

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映画の中では、血縁なんだか地縁なんだか単なる縁なのか、よく分からない人たちが、一緒に暮らしている

そして、それぞれの主人公はそれぞれに歪んで、他人から何かを受け取って(かっぱらって)生きている

いつ終わるか、明日終わるかもしれない暮らしの中で、お互いに少しずつ気を配りあい、一緒にご飯を食べ、眠る彼らは、なんだか幸せに見える

・・・野生の動物の群れのように

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主人公たちのような不安定な、プライバシーもない、部屋も汚い暮らしはいやだ!(そもそも万引きは犯罪だし!)って思う反面、お互いの距離感が心地よくもあり、憧れも感じる

お金があったって、いい家に住んでいたって、この映画の中のような人間関係が得られない人たちは、それこそごまんといる

主人公たちは「ずっと続く幸せなんていう幻想」は抱かずに、「いまここに一緒に居られる幸せ」の中に生きている

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時間は過ぎていき、その、ほのかに幸せな集団にも変化が訪れる

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野生動物の群れでは、若い個体は新たな集団を作るためにそこを出ていき、病気になったり怪我をした個体は、集団からそっと外れて(外されて)ゆく

映画の主人公たちは、ある意味、人間社会に紛れ込んだ野生動物の群れだが、野生動物の「掟」に従うと、人間社会では時々「犯罪」になる

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誰の中にも野生動物の「掟」はたぶんまだ残っていて、その「掟」と人間社会との軋轢が、その人の「歪み」になるんじゃないか?

そして、家族は、家族のお互いの「歪み」を認めて、全体として新たな「歪み」を引き受けることで、成り立っているんだろう

とても面白かった