ココロミにきみ

本と体とプログラミング

本 僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう

「僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう」永田和宏さん対談集

(with 山中伸弥さん、羽生善治さん、是枝裕和さん、山極壽一さん)

羽生さんは将棋で集中している時は、その時何を考えていたかをほとんど覚えていないという。それは想像するに、周りを警戒するといった動物的な本能も捨てて、自己意識も捨てて、自分が最高の機能として働くために、自身のあらゆる力を将棋を指すことだけに使い切ること。

将棋を指してるでのはなくて、「将棋」の一部に自分がなっているのかもしれない。

その「自身のあり方」の延長線上にある話のだろうけど、羽生さんはさらに、棋士それぞれが自分の手を感覚的に確信がもてないまま、相手の手もちゃんと予測できていない時のほうが「熱戦」や「名局」と呼ばれるものになるのだと言う。

逆に言うと、お互いが納得のいく手を指しあったり、相手の手を読み切れた時の対局は何かが足りないのだろう。

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個人的にそれは「意識の限界」の話ではないかと思う。いい手だと確信するのも、相手の手を読み切れると感じるのも、すべて意識の範囲内の話であり。意識を超えたところまで使って将棋を指すとなったときに、僕たちの意識以外の部分が感応して喜んでいるんだろうか?

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羽生さんの話は題名とはずれるところが多いけど、面白さはピカイチ。本棚に置いておいて何度も読み返したい本。

 

この本と同じ方向性ので、立花隆ゼミが色々な人にインタビューした話も面白い。

二十歳のころ―立花ゼミ『調べて書く』共同製作

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