「街場の平成論」内田樹さん他、8名による平成を語るアンソロジー
よく、バブル崩壊後に「失われた20年」とか言うけど、個人的には全く実感がないが、何となく世間に「失われた感」があることは感じる
普通はそれを「経済の話」として語られているところに、内田さんが新たな補助線を引いたら、「今までの『失われた感』には、足りてなかった要素」が見つかった
それは「アメリカからの・・・」という視点
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第二次世界大戦後の日本は、欧米諸国に追いつけ追い越せでがんばってきた
アメリカの傘下においての平和、アメリカ追従を面従腹背でしてきたら、奄美や沖縄が日本に返還された
その後、日本の経済発展はピークを迎え、アメリカの国土が二つ買える!というフレーズが流行るまでになり、金で・・・が買える!というイメージも生まれたかもしれない
その流れを踏まえた上での「バブル崩壊」を想像してみる
・・・失ったのは「経済」と、
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個人的な平成の感覚をいうなら、「自分一人」で社会全体というか「市場」と戦わなければならない、というイメージと共に生きてきた気がする
昭和の残り香がある頃までは、「国」や中間の組織として「共同体」のイメージが強固にあって、そこに「属していること」と「属している感」が、一人ひとりの人にとって、物理的にも心理的にも、大きなプラスに働いていたんだろうなと思う
もちろん実際には会社に入ったり、家族がいたりで、なんらかの共同体や組織にいるわけなんだけど、それが最終的に絶対安全を保障してくれるようなものではない、というイメージは常にある気がする
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また、情報がいつでも手に入るものになったことが、「具体的な名前や数値を覚えない脳の使い方」に自分がシフトしてきたように感じる(単なる老化もある)
代わりに、質の高い情報がどうやれば手に入るか、情報をどう組み合わせるか、どうアップデートするかなど、流れとの向き合い方に頭を使うようになった気がする
しかし、そうやって工夫して外から手に入れた情報をあれこれ加工しても、その行為に未来はあるんだろうか?という思いもあり
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ざっくりまとめると、頼るものが自分しかなく、さらにその自分の心が拠り所とするものが不確定である、というものすごい時代に生きているのかもと
逆に言うなら、この2つがこれからの個人的な課題になるんだなと
・自分の体を外から守ってくれる、自分が属する集団を複数作ること
・自分を内側から守ってくれる、心のあり方をいろいろ試すこと
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日本人にしか通じない「平成感」を使って、自分で過去と未来を考えるのは、なかなかいい訓練だったと思う
その成果がちっぽけなものであっても