「創造&老年 横尾忠則と9人の生涯現役クリエーターによる対談集」
横尾忠則さん他
横尾さんが80歳になるのを機に、自分より年上の現役クリエーターたちに、現役でいられる秘密をテーマとした対談集
・・・横尾さん他9名の言葉を通して、芸術家という生き物の生態を垣間みた
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一般に流布している(と思われる)「芸術家が孤独で、あまり世の中に関わらず、他にそんなに楽しみも要らない」というイメージはそんなに間違ってなかった
なぜなら、彼らは創造に向き合うなかで、日々、自分の大変化を経験し続けていて、その快感を味わうプロセスに、生を費やしているのだと
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筆者曰く、その創造の源は、社会風潮や科学技術や政治といったものではなく、自らの体や自然、宇宙に偏在する力であり、
その見えない力を「自分の体というツール」を介して取り出し、新たな形を与えていく作業が日々の仕事(といえば仕事)になるのだと
・・・この話を読んで思ったのは、座禅の師匠も同じことを言っていたなと
「座禅は人間が自らの意思で上手に自分の体をコントロールすることではなく、最初から各々の体に備わっているものを、(意識を介さずに)十全に生かすことだと」
・・・ということは「座禅という生のあり方」は、もしかしたらその「生き方を一つの作品」と呼んでいいのかもしれない
・・・改めて考えてみるけれど、芸術家の作品というのは、世の中一般の仕事の成果と呼ばれるものと、全く違ったプロセスで作られていた
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まず、毎日変化していく芸術家自身が作品の前提条件になっている
一歩ずつ何かを作るごとに自分の中での変化が呼び起こされ、その新しく変化した自分が次の一歩を決める
無限ループのような「自身の変化の快感」の中に芸術家たちは喜びを見つけ、その変化と共に作品と呼ばれるものが形を現し始め、ある所で芸術家は終わりの印を見つけ、その作品は手を離れる
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・・・そう考えると作家にとっては、創作すること自体が喜びであり、仕事であり、自分の成長であるという、(食べていければ)ものすごく幸せなループにいるんだなぁと
そりゃ、そうやって生きられれば長生きするだろうなと思う
逆に何らかの病気や怪我で創作が続けられなくなったら、全ての喜びと幸せが断たれた芸術家は生きる意欲もなくしてしまうだろう
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・・・みなが芸術家として生きれないにせよ、芸術家の仕事の仕方が(今までよりも)求められる時代になってきていると思う
大量生産で出来ることにも、検索できることにもみんな飽きてしまって、それ以外の選択肢が必要な場面で、この仕事の仕方で作られたものがその回答になるだろうと
生き方としても