「聖地巡礼コンティニュード」内田樹さん、釈撤宗さんと巡礼部による対馬巡礼記。
だから、なぜ対馬がすごいかっていうとね(google earth画像)、
みてのとおり、対馬は国際交易拠点なわけです。日本の端っこではありません。外国からみたら、日本の始まりの地点と言ってもいいくらい。この本で、視点の転換をさせられました。
昔から、対馬を通って朝鮮半島や中国大陸の文化や技術や宗教が入ってきたと。そんなインターフェイスの部分に対馬がなぜなったのか?というのは、もちろん地政学的な利便性と、おそらく対馬が「気持ちのよい場所」だったからなのでしょう。
その2つのテーマがこの巡礼記には繰り返し出てきます。
不思議に思ったのは、そんな国際性豊かな対馬という場所にこそ逆に、大和言葉や古来の大和の風俗が残っていたこと。
インターフェイスになる部分は、それを自覚すると逆に自分のあり方が固定されてしまうんだろうか?良くも悪くも。常に異文化にさらされることで、自文化の固有性を意識させられ続けて、それが意識の前面に押し出されることで、無意識の変化が起こらなかったとか。
もしくはインターフェイス部分は外部とのやりとりのルールを一定化させてないと、手続きが煩雑になるため、インターフェイス自体がその主体を固定化させるのかもしれない。
最後に視点を変えて、対馬はそもそも朝鮮半島の文化圏に最初から属さなかったんでしょう。さあなぜでしょう。ひとつ大きな理由はわかっています。距離ではありません。
対馬に行きたくなった。でも知識が足らなさすぎる。