本 AIの壁
「AIの壁」養老孟司さんの四人との対談
人間を構成する情報系は2つあって、一つは遺伝子系だがその変化には数万年から100万年単位のオーダーがかかる
それより早い変化に対応するために、神経系が発達したと養老さんは言う
外界に反応するために先に神経系が発達したのかと個人的なイメージだったが、そもそも反応というのがすごく動的なことで、生命の生まれたてみたいな時には、自分の再生産だけで精一杯だったのかもしれない
話を戻す
で、神経系の発達の流れが、都市社会であり、脳化社会でありその、行く末がAIであると
だからAIが人間の仕事を奪うという話は、都市型社会、脳化社会がすでに奪ってきたことの延長にしか過ぎない
つまりAIを考えるとは、脳化社会・都市型社会に対して人間はどう生きていくか?を考えることと同じなのだろう
AIからは離れるが、神経系がもう一つ狙う先は、競争相手である遺伝子系を支配する事という捉え方ができるのが、それが遺伝子操作だと思う
神経系から見れば遺伝子系というのは環境のようなもので、いわゆる”環境問題”とはスケールが違うだけなのかもしれない
違うのは環境(遺伝子)が変わった後は、考える主体の定義も変わるわけで、それまでの神経系とは全く関係のない生き物になるかもしれない
つまり今ある神経系(私たち)とは違う生き物になり、複数の人類近縁(未来)種間の生存の権利が争われる世界になるのかもしれない
それに意味を与える捉える考え方があるとしたら、”神経系”が淘汰圧の中で生き延びていく歴史と言えるかも
* * *
話を戻すと、AIの壁というのは神経系の発展を、人間全体として、どの程度にしておくか?という話なのだろう
ただ、考える主体である「意識」もその根源を辿ろうとすると、それが何であるかまだ誰も言えないわけで、AIの壁というのは、その由来も未来も定義が宙ぶらりんの中で適宜扱うという、現代人にとっては曲芸みたいな芸当を人間に要求しているのだろうなと思う
それは難しいことではなくて、遺伝子系が活躍しやすい生活を増やせば、自然にバランスが取れてくるんじゃないかな
AIの壁は一方向にしかないと思う
本 日本習合論
「日本習合論」内田樹さん著
内田さんがよく口にするのに、個人的に良くわかってないテーマが 「人は葛藤によって成長する」というもの
* * *
日本はアジアの東の端という地理的条件から、歴史的にいろんな人を受け入れてきた
実際、DNAの種類の多い国でもあるそうな
つまり、文化や宗教が違う集団が、歴史の中で何段階かに分けて日本にやってきて、住み着いたと
* * *
当然、古くからいる集団と新しい集団の間で摩擦が起こる
逃げ場のない場所で殺し合いをしないために、異なる価値観や異なる物差しのものごとを、「なんとかして折り合わせることで、事を収めるプロセス」をその地固有の方法論として練り上げてきた
それが習合であると・・・わかりやすい例でいえば、神仏習合がそれ
* * *
改めて考えると習合って、すごいことだなと思う
今まで自分が常識としてたことを一旦手放して、新しい何かを受け入れて、それを込みで新しい価値体系を自分の中に作り上げるのだから
・・・そうか、そりゃ葛藤するよねその時に(簡単に納得してしまった)
* * *
しかしというかそのお陰で、著者曰く、日本人は、古いものと新しいものを習合させるときに、一番力を発揮するようになったと
それはなんていうか、個人としての葛藤による成長だけじゃなくて、文化自身としても葛藤によって成長するんだろうか?
対立項をなくして飲み込んで成長する貪欲な文化
* * *
そういう意味では、浮世絵や刀や和食が日本文化というよりは、
「異物を飲み込んで習合させて新しいものを生み出すプロセスそのものが日本文化」
と言っていいんじゃないかと思う
カオナシが一見、習合のお手本かと思ったけど、あとで吐き出すから違うのかな・・・
* * *
個人の話に戻すと、一神教の国とかではおそらく、GODと信仰心との葛藤が人を成長させるのだとしたら、日本では習合のプロセスがその役割を果たすのかもしれない
新しいものごとを取り入れて価値観を更新できなくなったときに、成長は止まるんだろう
本 家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった
「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」岸田奈美さん著
* * *
岸田さんの弟の良太くんは発達障害なのだが、なんだろう、障害って言葉はどうでもよくて、彼自身の個性のほうが伝わってくる
それこそまさに岸田さんの観察眼や解釈力のすごさなんだけど
* * *
たとえば、弟と二人でバスの列に並んでるときに、どうしても小銭が必要になった
そこで岸田さんは、弟に指で丸を作って「観光案内所で両替してもらってきて」とお札を渡す
* * *
頼んだそばから本人が、「弟は観光案内所って分かるんだろうか?」「そもそも両替ってわかるのだろうか?」と疑問いっぱい
結果は、良太くんがコーラを自販機で買ってくることで、おつりの小銭をゲットして任務完了
* * *
岸田さんの想像では、良太くんの頭の中は「お姉ちゃんは丸いもの(=お金?)がいるっぽい」「その後にいった言葉はよくわからない」「おお自販機がある。あれにお札をいれると丸いのが出てくる」「俺のすきなコーラが売ってる・・・」てな感じ
良太くんはコーラをゲットして満足、岸田さんも満足
* * *
この「だいたい(みんなにとって)上手くいった」というラインが大事なんだろうな
言い方は難しいのだけど、この良太くんが行動する軸が誰にとっても、人生の大きな筋なんじゃないかな
その辺りの岸田さんの良太くんへの本気の尊敬が、理解を生んでいる気がする
本人が面白いのか、文章に勢いがあるのかとても楽しかった
本 未来のルーシー
「未来のルーシー」中沢新一さん、山極壽一さん対談
とても歯応えのある未来構想だった・・・というか理解しきれなかったのが本当のとこ
現代社会の行き詰まり、つまりは資本主義の行き詰まりは、それがどこから始まったかといえば、それは農耕社会の始まりであると
なぜなら、農耕というのは、「一粒のタネが未来に何百、何千と増える」投資の発想の始まりであり、それが「資本を投下し、未来で余剰となった収益を回収する」資本主義になったと
* * *
農耕というのは基本的に炭水化物を作り出すものであり、種類の少ない食べ物で、多くの人を養うことができ、それが現在の70億の人口を支えている
しかし、個々の人間の体にとっては、炭水化物(農耕)社会が始まって以来、病気になりやすくなっている
その矛盾の解消が将来的にできるか分からないが、個人的には炭水化物に頼らない食生活を・・・と思うがその話は割愛
* * *
そして農耕社会の始まりは環境と自分を分ける発想でもある
環境(自然)を支配して、ロジックによって生産を拡大し、社会を構成していく
それがとても上手くいったので、”いまある科学”も発達して、現在の社会になっている
* * *
しかし、だんだんと「環境と自分を分けて考えるやり方」では、対応しきれない部分が生きものにあることが分かってきた
それは生物分野の話だけでなく、数学や社会全体において、”同じ問題を違う形”で直面していると二人はいう
その解決というのはレンマという発想であり、縄文(狩猟採集)時代の、全体を同時に受け取るような知のあり方だという
* * *
・・・「環境と自分を厳密に分けることはできない」というのを個人的な理解でいうと、たとえば小学校の授業参観では、親も子供も先生も、いつもと違う緊張なり興奮があるので、親は絶対に「普段の(自分がいない時の)自分の子どもの授業の様子が見られない」というパラドックスに近いかもしれない
できるのは、自分がいることで変化した先生や自分の子供の様子から、そうでない時の様子も含めて想像することくらいだろうと
* * *
その知のあり方は、いまある科学とは、”違った形の科学の体系” が必要になってくると
事象を個々に分けずに全体で捉える?ような、捉えている最中にも事象と自分が個々に影響しあって変わっていくことも含む
* * *
そういう知のあり方や、新しい科学の体系を、縄文時代の狩猟採集社会に戻って、そこに接木として発展させて新たな社会のあり方を作っていく、というのがこの本の提言だろうと理解した(ミスリードがあったらごめん!)
未来のルーシーは、タンパク質がメインの食事をしているよきっと
本 生き物の死に様
「生き物の死に様」稲垣栄洋さん著
個人的な話だが、今日親しい人の祖母が亡くなられた
最後に孫にも会えて、病室で親しい人に囲まれて息を引き取った
孤独死が増えている日本では幸せな亡くなり方の一つだと勝手に思う
* * *
思えば多くの生き物は、一匹で、一頭で、孤独に死んでいく
草葉の陰で、森の中で海の中で、道路の上で、誰に知られることもなく死んでいく
生き物界では99.99%が孤独死で、仲間に看取られるのはいくつかの哺乳類ぐらい
* * *
孤独死が生き物界の絶対的スタンダードなんだと、この本を読むと改めて思う
生まれてから死ぬまでずっと厳しい生存競争があって、僕たちが他の生き物を認識するのは、その厳しい生存競争を戦っている動植物の「生」の一瞬だけ
その一瞬の前後にその生き物がどう過ごしているかをほとんど知らない
* * *
たとえば、セミが子孫をどこに産むか知っていますか?
木の幹に卵を産みつけて、そこから1mmくらいの幼虫が孵って、自分で木を降りて土の中に潜ってそこから数年間過ごすのだと僕は初めて知った
一番びっくりしたのは、木は年輪の一番外側と樹皮の間の一層分だけが「生きている」こと
内側の年輪は全部死んだ細胞でできている
つまり、木というのは「筒」が生きていると思ってもいいんじゃないか?
そして木が枯れると言っても、いつどの段階で木が死んだと言えるのは分からない
挿木でまた生きる木もある
* * *
この本にはないけど、養老孟司さんが、芋虫と蝶の関係は
「別々の生き物が、ひとつの生き物として連結した姿」
ではないかという話をしている
実際、サナギの中では芋虫の体はドロドロに溶けて、全部蝶のために作り変えられる
* * *
そんなキメラ動物みたいな仮説は気持ち悪い、と思うほうが普通かもしれない
ただ、あなたも一匹の精子であり、ひとつの卵子でもあったのが、結合して新たな一つの細胞になってるわけで、なんらかの細胞単位の死がそこには含まれていて、命の連結という意味では芋虫と蝶の関係と同じと言ってもいい気がする
* * *
話がとっちらかったけど、死に様も生き様も、案外わかってないものだなと思いつつ、それがいいのかもしれないと思う
今の日本では90%以上の人が病院で亡くなり、その死に様が明るみに出てしまうのは、生き物として変な気がする
仲間に看取られて死ぬのは嬉しいけど、病院という場に集中するのは不自然だと思う
人の死はもっと多様であるのが普通な予感があるが、そのためにはまず生き方が多様でなければ始まらないのだろう
いろんなことを考えさせてくれる本だった
本 GO WILD 野生の体を取り戻せ!
「GO WILD 野生の体を取り戻せ!」
野生に戻ろうというシンプルな本
食べ物の話は3分の1くらいなんだけど、そこを書く
* * *
「パン・ご飯・パスタ・果物・スイーツ・ジュース」とお別れして、
「肉・魚・卵・野菜(根菜はダメ)、ナッツ」で生きていく
・・・本にある昔の人類の生活である、低炭水化物生活を始めてみて2週間
・体力が夕方でも持つ
・お腹がいっぱいにならないし、減りもしない
・胃もたれがない
・痩せ始めた
と、良さげなことが起こり始めている
逆に、
・始めて4、5日の時にお腹がすごく変な感じがした
・外食の9割が自分と関係ない世界に行ってしまった
・自炊のレパートリーを増やさないといやになる!
・端的にお金がかかる
などのマイナスも
GO WILD 野生の体を取り戻せ! 科学が教えるトレイルラン、低炭水化物食、マインドフルネス
- 作者:ジョンJ.レイティ,リチャード・マニング
- 発売日: 2014/12/24
- メディア: Kindle版
* * *
体の面白いところは、
「炭水化物や糖からエネルギーを使う体」から
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
「脂肪をエネルギーにして使う体」
の移行には、じゃっかんの時間(数日〜)がかかること
その間、炭水化物と糖分を抑えないと体は変わってくれないらしい
* * *
マイナス面で辛いのは、周りにある多くの多くの食べ物は、炭水化物と砂糖だったと気付かされてしまったこと
外食行ってもほんとに食べるものが少ない(高級なお店にはある)
無理したら心が折れるので、お裾分けをひと口はもらう(笑)
* * *
ちなみに、炭水化物の処理を体がしなくなると、その分だけ他にエネルギーが使えることで体質改善が起こりやすいらしい
リーキーガット症候群の人や鬱の人も、散歩とこの食事で改善した例が書いてあった
思い当たる人には試す価値はあるかもしれない
* * *
この本の主張によると、炭水化物は現在の消費量だと人間にかなりダメージを与えるものであるのに、なぜそれをエネルギー源として取り入れる仕組みを体が持っているのだろう?というのが逆に疑問として湧く
ずっと炭水化物を食べる生活を続けていれば、何千年か後には(コアラが有毒のユーカリを食べられるように進化したように)人間も炭水化物を無害なものとして食べられるようになるんだろうか?