ココロミにきみ

本と体とプログラミング

雑誌 熱風(スタジオジブリ)

自分は坂道が好きだと思っていた
今住んでるところも山と山に挟まれた場所で、もれなく坂道
でもここは何か違う
・・・それはたぶん地平線が見えないからだと
* * *
ジブリの熱風という雑誌がある
いま(2020.12現在)三浦雅士さんの「スタジオジブリの想像力」という連載がある
そこでは、未来少年コナンから、天空の城ラピュタハウルの動く城をつらぬく「地平線」の考察が続いている
ざっくり言うと人間は「地平線」を発見したときに、その無限とその距離を測るための自分の場所のゼロを発見したのだと
そして、その地平線の概念が人間の内的世界、さらには地平線までの大地としての母親の概念が作られたのだろうと
(ここら辺は「へーそうなんだー」くらいで大丈夫)
で、ここからが面白いのだけど、先の3つの作品はみんな母親がいない子供たちの話なのだと
コナン、ラナ、シータ、パズー、ハウル、ソフィー(義母はいる)
つまり、「地平線」がない主人公たち
たとえばハウルの城では、動く城が最初登場するも雲の中に隠れていて、山裾が見えるくらいで地平線は見えない
ハウルとソフィーが最初に出会ったときの、二人の空中散歩もよく見ると、斜め上から街を見下ろす形になっていて地平線が描かれていない
シータが雲の中を落ちていくときも、実は地平線は描かれてない
物語が進んでいき、主人公たちが自分の内面世界を取り戻したり、新しく作りあげたり、そこを埋めてくれる存在が出来たときに、地平線が描かれるようになっているのだと
(なるほどー!!)
なんというか、宮崎監督のすごさよ
絶対無意識でやってるし
* * *
つまりだ
地平線が見えないところに住んでいるということは、ジブリ映画の始まりの主人公たちの状態なんだ
遠出をして地平線が見えるときに、なにかしら開放感or充実感を覚えるのは、ちゃんと物語が進んで自分の内的世界が回復したことを無意識のうちに感じてるからかもしれない
LOVE地平線