「他者の靴を履く」ブレディみかこさん著
ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルーに出てくる、著者の息子さんが学校の授業で習った、「エンパシー(empathy)= 他人の靴を履いてみること」という表現を使ったことが、読者の興味を引き起こし、その解説というか著者の考えていることを展開した本
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ここからは自分で考えたことを書く
似た言葉のシンパシーsympathyは情緒ベースで、エンパシーは理解ベース
言い換えると、シンパシーは今の自分のままで可哀想とか共感できる、という感情の反応で、エンパシーは相手の状況に自分を置いてみてその経験を理解するというもので、努力して自分の枠を広げる行為だとも言える
今いる場所から動かずにするのがシンパシーで、今いる場所から離れて相手のところまで行くのがエンパシー
優劣があるとか、どちらかにパキっと分けれるんじゃなくて、おそらくシンパシーとエンパシーは1人の人の中で、混ざり合って存在しているのだと思う
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個人的にエンパシーだなと思った経験は、(何度か書いているけど)2つある
ひとつは、夏の暑い日に、同僚と車でランチから戻ろうとしている時だった
駐車場から出ようとしていた車のバックミラーから、ちょうど真後ろあたりに、車椅子の女性がゆるい坂道を必死で登ろうとしているのが見えた
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最初の自分の心の中の反応は「うわー時間かかりそう!(車出られないし)まいったなー」だった
しかし数秒後「手伝わなきゃ!」になぜか心がぱっと変わって、車から飛び出していた
そのプロセスを覚えていないけど、頭の中でその車椅子の女性の立場に自分が代わって、冷房の効いた車で戻るという、今自分がいる状況を手放したんじゃないかと思う
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もう一つは、スマホのお店で最初から不機嫌な女性の店員に応対された時
最後まで自分の不機嫌を態度に出す店員に、かなり腹が立った(そりゃそうだ)
あまりに腹が立ったので、SNSで書いてやれと思って、せっかくだから趣向をこらして相手の立場から見た話を書き始めた
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(こんな感じに)「ちょーむかつくー!彼氏は冷たいし、今日は化粧のノリ悪いし。あ、客がくる。しかもむさい男!かっこいい男ならまだしも、なんであんな鈍臭そうなやつを私が相手にしなきゃいけないの!?こんなやつなら、適当に対応しても文句言わなさそう。不機嫌なままいっちゃえ」
って書いてたら、なんだか怒りが収まってどうでもよくなった
これもエンパシーの経験なんだと思う
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図らずともこの2つの経験は、著者が本で書いているエンパシーのいい面と悪い面に繋がっている
エンパシーを実践することで、社会の居心地がちょっとずつ良くなるかもしれない
同時に、権力者や悪い人の逸脱行為を、エンパシー能力の高い人は、自分側に問題があるようにとったり、盗人にも五分の魂みたいな理解を示してしまうかもしれないこと
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それに対する著者のアンサーもあるのだが、それはまた本の中で
エンパシーはこれから深まっていく人間の共通資産になると思う
SDGsなんかよりもっと