「夜と霧」フランクル著
やっと、アウシュヴィッツの記録の本を読んだ
数十年前からこの本の存在を知っていたのに、何かに向き合うのが怖かったんだろう
しかし、読み出してすぐに人が死んでいく描写に慣れてしまう
人が尊厳をなくしていくことに慣れてしまう
・・・そうしないと自分が壊れてしまうからかもしれない
ああ、なんのことはない、これは本の中にあった
「強制収容所内では、囚人たちは自分が生き残ることだけが唯一の関心事項になり、『心と体』を守るために、他人の命や尊厳(と自分の尊厳)に無感動になっていく」
という人間の防御機構を、今、自分が追体験しているんだ
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この本のどこに今の自分が反応するんだろうと思っていたら、「どういう人間が生き残るのか?」という所だった
著者を例にとると、医師という(他人から価値を認められる)技術を持っていたこと、人格がよくて看守たちからも好かれた?、運を持っていたこと、尊厳を捨てなかったことと見た
運以外については努力できる項目
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強制収容所というのは目に見える囲いだが、新型コロナが蔓延している2020年の今も見えない檻に囲まれている感がある
アウシュヴィッツとは比べるべくもなく自由だが、行動の指針は同じだと考える
社会的に価値を生み出すこと、好かれる人格、自分の尊厳を養っていくこと
・・・それらを高め続けても、運だけでバッサリやられるかもしれない
その可能性を引き受ける覚悟も実は、生き残る要素に含まれているのかもしれない
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2018年の5月に実際のアウシュヴィッツに、本を読むより先に行った
新緑に覆われて、一見牧歌的で過去を想像するのが難しい
残された(再建された?)建物に入ると、膨大な遺品の靴やメガネがあったり、壁に顔写真と入所年月日と死亡年月日が、ずらっと並んでいる所がある
その生存期間はたいていは数週間で、長くて3ヶ月とかで、殴られた後に写真を撮られたのであろう10代の女の子もいたが、たしか3ヶ月で死んでいた
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90%以上の人は、下の写真の門をくぐって停車場についた時点でガス室に送られた
その中で生き残った人たちも、その生命が尽きるまでの短い間を労働力として過酷な環境で使われていた
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アウシュヴィッツに限らず、強制収容所はドイツが負けて投降するときに、大量の資料を焼却したり、建物を破壊して、さらには解放すると約束した多くの囚人を騙して殺している
全ては、戦後に自分たちが裁かれるのを恐れて、調査をされないように、徹底的に証拠となるものと人を消していった
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強制収容所に関する戦犯には時効がなく、永久に追及し続けると決めたヨーロッパの人たちにあった恐怖というのは、自分たちが同じことをする可能性をきちんと認めたかだらと思う
当然それはヨーロッパの人間だけの話でもなく
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個人的な話だが、今回、自分がこの本を読もうと思えたのは、人生の経験を積むうちに、いろいろ努力しても運だけでバッサリやられることを、受け入れられるようになったことが大きいのではないかと思った
言い換えると、この本を前に感じていた恐怖というのは、人間がどんどん殺されていくことが描写されていることへの根源的な恐怖と、どんなに努力をしても運だけで死んでしまう理不尽さを、昔は自分に認められなかったからじゃないかと
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今回自分の読み方を相対的に見るなら、人が殺されていく描写に対して、心を閉じて対処した感がある
しっかり受け止めることが正しいのかは分からないけど、正面からは受け取ってない
またいつか、経験を積んで再びこの本を読んだときに、自分はどう感じるんだろうか?どこに着目するのだろうか?人が死んでいく描写にどう向き合うんだろうか?
遅いスタートだったが、自分の定点観測としても大事な本になるかもしれない