ココロミにきみ

本と体とプログラミング

映画 マイスモールランド

なら国際映画祭で「マイスモールランド」を見てきた

難民申請をしているクルド人一家の日本での生活を描いていて、展開は想像に難くないと思うのだけど、難民申請は却下される

・・・そのあとはどうなるのか?  

滞在許可ではなく、「生きてるだけなら許可」証みたいなのが出る

ビザではないので、就労不可、大学進学不可、県外への移動不可

・・・見ててだんだん辛くなる映画なのだが、主演の嵐莉菜さんの光と影の魅力が展開を支えている


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話は変わる

日本は難民を認定しないことで有名な国だけど、なんでこんなに難民を拒むのかよく分からない

一つの視点から言うと、日本人のDNAは型の種類が世界でも多い国で、つまりは歴史的に、色々な海外の地域から&いろいろな時代に、難民が多数流れ着いて居着いてできた国であると言える

そんな「難民and難民のハイブリッド子孫」である自分たちが、国の成り立ち方を否定してどうするよ? ・・・というか逆に「そもそもの日本らしさ」って「難民が断続的に来てくれて、それをどこより受け入れる国」だったりするんじゃない?

まぁそんなことを突然考えたのだけど、難民問題は、日本で普通にいま暮らせてしまっている人にとっては、考えずにスルーしても自分の生活に支障はない(ように思える)し、実際、自分も行動を何かしたこともない

最後にもう一つ自分へのツッコミをいうと、主人公のお父さん役の「髭もじゃのマリオみたいな父」が主演だったら、それはそれで魅力のある人なんだが、でもこの映画を自分は見なかっただろうな・・・

筆算はアルゴリズム

小学校で習う日本の筆算は「アルゴリズム」だと知って、えっと思ってしまった

たしかに、あの一連の手順を知らなければ二桁以上の掛け算の解法は想像がつかない

・・・今回は「筆算とアルゴリズム」の価値について考えています

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ちなみに筆算の方法は、それぞれの文化圏で独自にやり方がある

数千年前のエジプトのナイル川の氾濫対策の公共事業には、大きな数の計算方法があったはずで、その時代から技法があるのにそれが伝わらずに文化圏ごとに計算方法が違う

このことから類推できるのは、大きな数の計算技法は「すごい価値がある」ので、秘密にされてきて、文化圏ごとに独自に発明する必要があったのだろうと

単なる技法として習った気がする筆算の価値を、自分はよく分かってなかったかもしれない

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話をアルゴリズムに戻すと、アルゴリズムとは、手に余るような大きな目標を、単純な作業に分解して行う仕組みだと言える

日本の筆算を改めて言うなら、例えば322✖️212みたいな計算は、

・一桁同士の掛け算

・繰り上がり

・同じ桁の足し算

という3つのプロセスに分解してそれを繰り返すことで、目標の難易度を下げて達成しやすくしている

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ちなみにインドの筆算で322✖️212は、

・3本,2本,4本(322)と、2本,1本,2本(212)と数のぶんだけ交わるように線を引く

・桁ごとに交点を数える

・同じ桁の足し算

・繰り上がり(上の計算なら12が繰り上がって、68164が答え)

というプロセスに分解して行う

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余談だが比較すると

・インド筆算は、一桁掛け算知識が不要 / 計算は2つの項まで

・日本筆算は、一桁掛け算の暗記が前提 / 項の数にしばられない

という特徴がある

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アルゴリズムの話を展開させる

この「難しいことを簡単な作業の繰り返しに分解して達成する」ことは多くの人が、日常的に行っていると思うのだけど、その分かりやすい極みがプログラミングなんだろうと

例えば10万円を、利率1%で10年の複利計算は、

m = 100,000

K = 1.01

Years = 10

for ( y = 1 to Years ){ 

     m =  m * k // 左辺に右辺の計算を代入する

}

print ( m ) // 110462円

これも複利計算という手間のかかる計算を、「一年毎の計算と年数」という形に分解して計算を繰り返す仕組み(コンピュータ)を使うことで結果を得ている

つまりは、筆算を学ぶということは、プログラミングを学んでいることであり、アルゴリズムを学ぶことなんだと

もっと言うと、大量生産の仕組みは全て「アルゴリズム」で作られているわけだから、現代社会の縮図を一番簡単に学べるのが「筆算」なのだろう

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・・・さてさて、筆算の価値がわかってちょっと納得です

個人的に、web版の「カード・ドラッグ型」筆算アプリを作っていて、「筆算を学ぶことにエネルギーをかける意味ってなんだろう?」と思っていたところでした

ちなみに「カード・ドラッグ型」というのは、数字を書く代わりに、数字カードをドラッグすることで筆算をできるようにしたものです

たったそれだけのことですが、文字や数字を書くのが苦手で筆算ができない子どもが、筆算ができるようになるのです

iOS版はアップルストアにあるので、入り用の方はこちら「札算」をApp Storeで(無料です)

web版を待つ!という方は完成まで、読者になっておくのがオススメ(笑)

本 計算する生命

「計算する生命」森田真生さん著

個人的に大学の数学と物理で躓いたクチなんだけど、その理由がよくわかった

・高校までの数学は18Cまでの体系で、「直観」でわかるもの(それでも難しいが!)

・大学からの数学は19C以降のもので、「直観できない概念による操作」(リーマン面とか)

この「学ぶものの質的な違い」を、もっと言語化してくれる先生がいたらとは思う・・・大学の勉強が、「なんでこんなに分からないかが、分からなかった」から

閑話休題

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この本は、数字がまだなかった時代に、農作物の収量をトークンという概念を作りだして理解したことから始まり、デカルト幾何学に始まって、中世のカント、そしてリーマンやフレーゲまで、人間の認識の広がりと数学の関係を紐解いていく

自分の認識がどのように出来ているかを含む話なので、そもそも扱いが難しいテーマで、それに出てくる数学の話が難しいので、正直半分もわかっていない

しかし、自分の頭が18Cまでの数学や認識でほとんど出来ていて(多くの人もそうだと思うけど)、でも同時に科学や技術は(つまり日常生活の裏側は)、19C以降の数学を使って成り立っている

大きな分断がここにあることを知ったのはとても大事だった

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何ページもノートを取りながら読んだけど、これは読書会にして、「全員がわかるまで議論してちょっとずつ読む」が向いている本だと思う

そしてそれをするだけの価値がある本

本 わたし、解体はじめました

「わたし、解体はじめました」 畠山千春さん著

筆者は鶏を絞めて食べるワークショップを開催しているのだが、初めて自分で絞めて食べたときに「その鶏が自分の体の一部になった感覚」があったという

そして自分の一部になるのだから「幸せに生きてきた鶏を食べたい!」と思うようになり、また、自分の体が欲する(野生の)肉の量が少量でいいことがわかったと

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なんかすごくわかる話で、ゲージの中に詰め込まれて動けないブロイラーの鶏生(人生の鶏版)って、あんまり幸せな気がしないし、それを食べる自分も幸せな気がしない

比較して、平飼いの鶏だとか、野山を駆け巡って生きてきた鴨とかは、肉に詰まってるパワーが違う気がする

そうやって幸せに生きてきた鶏とかを食べると、肉のパワーがすごいからいつもより少なめで自分の体が満足するのだろう

・・・個人的には、今はスーパーの肉でも美味しいと感じるときはあるんだけど、ジビエの肉を食べたらもう戻れないような気もする

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本の後半は初めて獲物を獲るまでの話で、新人猟師のリアルさがわかった

なんとなくでは絶対獲れなくて、一定のレベルに達してやっと勝負が始まるという感じ

広い山の中でごく最近の足跡を発見して、そこにどれくらいの集団がいて、どんな頻度でどういう道で動いて、その中でも具体的に「この足跡のやつをここで獲る」という具体的な狙いができるようにならないと獲れないと

それはたぶん、ほとんどの人が動物がどれだけ賢くて、用心深くて、どんな行動をしているのかを命をかける深さで向き合ったことがないから

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猟師になりたい、猟師をやりたいと思ってる(自分のような)人間に立ちはだかる関門は、この最初の一頭の捕獲だろう

先住猟師がいない山を探して毎日通って、足跡を見つけてイノシシの個体識別ができて・・・って、どんだけ山に入って、空振りをしたらできるようになるんだろう

とても面白い本です

本 山と獣と肉と皮

「山と獣と肉と皮」繁延あづささん著

猟師ではない著者が、引越し先の長崎のご近所にいた派手なおじさん(あとで猟師と分かる)に挨拶したことから始まった混迷の旅

著者はシシ肉を毎週のようにもらようになり、猟に同行し、狩猟の瞬間や解体、腐敗、皮鞣しなどまで自分の足で追っていく

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いつしか肉というのは、スーパーで売っている無名の「肉」じゃなくて、激しい命を持って野山を走り回って、最後の最後まで生きていた臭いもすごい唯一無二の「個を持つ生命の一部」に変わっていく

著者の想いの変遷が話の縦軸としてあり、それはすごいエッセイなのだが、横軸としての2人の猟師さんの話が個人的には面白かった

最初に出てくる派手なおじさんは、害獣駆除メンバーでもあるので一年を通して猟ができて、二日に1匹くらい仕留めて、周りの人たちに肉を配っているという

山から恵みとして与えられたものを、たまたま自分が頂いたので、見返りを考えずに周りの人にその恩恵を贈っていく、という感じがすごく素敵だ

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もう1人の猟師は、犬に山を駆け巡らせてイノシシを発見し、銃で仕留めるスタイル

犬との無言の「狩猟仲間としての信頼関係」が構築されていて、種を超えてお互いにリスペクトしあってる様子がなんだか不思議だ

youtubeでも観れる(狩猟場面が大丈夫な人だけみてください)


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個人的な話で、去年狩猟免許を取った人に出会った

「免許取っても、1人で山に入ったって(技術も経験もないし)全然取れないから」

と経験を語ってくれて、先輩グループを探して属して、狩猟LINEグループを作っている人だった

なるほどなーと思う

本に出てくる猟師の2人もその先達猟師から学んでるし、犬をパートナーにしたり、基本的には猟は仲間とやるもんなんだろうな

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そのこともあって、著者は僕から言わせると「狩猟運」を持っている

気のいい&腕のいい猟師さんが、近くに住んでて出会える偶然なんてすごすぎる

狩猟を目指して免許取った人の多くが、著者のような出会いに恵まれず、多くが一年目で狩猟を辞めてしまうから

著者がそういう運を持っていたからそ生まれた本であると思う

 

狩猟をするようになったら、何度か読み返してみたい

本 けもの道の歩き方

「けもの道の歩き方」千松信也さん著

知らないことでいっぱいなんだが、11月中旬は「クヌギ、コナラ」のドングリが落ちて、そのあと「カシ」のドングリが落ちてくるそうだ

ドングリの好きなイノシシは、各ドングリの旬(メインで落ちる木)を求めて通る道を変え、それに合わせて猟師は罠を張る場所を変えていくのだと

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いくつか狩猟の本を読んできたが、こんなに自然への細やかな目線で書いてある本はなかった気がする

猟師だけど(だから?)、動物や植物に対する愛情の深さが違う

他にも、ナラ枯れやシカの樹木皮剥は一般的に悪いこととされているが、木々の世代交代を適度に引き起こして、森全体の働きに貢献していると別の視点を提示してくれる

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著者は銃を使わず「罠」と「網」で猟をしている

罠にかかったシカやイノシシを、鉄の棒で気絶させてナイフでとどめを刺している

猟師でも「銃ならできるけど、鉄の棒とナイフで動物を殺すのは嫌」という人がいるという

・・・狩猟経験がなくてもその気持ちはわかる、銃は命に対して「距離」を作る

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おそらく著者は動物に対して「フェア」でいたいんだと思う

罠は自分の力で作れるし、鉄の棒とナイフは自分の肉体の力で動かしている

そして、最後のとどめを動物に触れながら行う

自分の全力を使って動物の命を奪うことに、きちんと直面する

それが著者の、動物たちへの礼儀なんじゃないか

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あんまり覚えてないけど、前作(?)「ぼくは猟師になった」から著者がだいぶ変わったような気がする

狩猟を通して自然と深く関わることで、逆に「森全体の働きのなかに、著者の狩猟が含まれていること」を目指しているんじゃないかな

いつか狩猟免許が取れたら、一緒に山を歩いてみたい

本 山奥ニートやってます

「山奥ニートやってます」石井あらたさん著

本によると、著者たちは、和歌山の超山奥で廃校となった小学校を無料のシェアハウスとして貸してもらって、現在15人で共同生活をしている

食費と光熱費で月18000円が各人の負担

その最低限のお金は、貯金を崩したり、山でのちょっとしたお手伝いやアルバイトで得ている

あとの時間(=ほとんどの時間)はそれぞれ自由に、山の中を散歩したり、みんなでゲームしたり、BBQしたりして暮らしている

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このお話は、陸の孤島レベルの隔絶された場所というのが大事なポイントで、そんだけ山奥なので、人間はいるだけで価値があるというのが発見だと思う

実際、彼らニート以外は5人のお年寄りが村に住んでいるだけで、何かとお手伝いしたり、散歩の途中で挨拶するだけでも喜んでもらえて、野菜とかもらったりしている

著者の石井さんは、山奥でも、「仲間さえいれば暮らしていける」と最初に思ったそうな

実際、著者とジョーという二人が最初の住人でそこからこの話は始まっている

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なんだろう、学生時代のゆるい合宿みたいな状態が続いている状態なのかもしれない

衣食住があって、仲間がいてAmazonがあって、自然がある(=遊びに金がかからない)

もちろん彼ら以外の人たちがいるから成り立つ生活ではあるけれど、これは

AIが人間のやりたくないことをやってくれて、人間は好きなことだけしたらいい未来

を別の形で先取りした生活に思えるんだが?

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本の最後のあたりにもう一つ著者が面白いことを言ってて、(もっと発展させて)村とか作ったりするのも考えたが、

人為的に作ったものは、すぐ壊れる。山奥にいると、嫌でもそう思い知らされる。自然に、流れのままにが一番強い

と、なんか自分が漠然とわかってたつもりだったことを、リアルな感覚で言われた気がする

山奥ニートは、分かりやすく周りのサポートという人為があって成り立ってるわけだが、都市での生活はそれこそ人為の塊があって成り立ってるわけで、たとえば大災害が起こったときに生き残りやすいのはどちらだろう