「山奥ニートやってます」石井あらたさん著
本によると、著者たちは、和歌山の超山奥で廃校となった小学校を無料のシェアハウスとして貸してもらって、現在15人で共同生活をしている
食費と光熱費で月18000円が各人の負担
その最低限のお金は、貯金を崩したり、山でのちょっとしたお手伝いやアルバイトで得ている
あとの時間(=ほとんどの時間)はそれぞれ自由に、山の中を散歩したり、みんなでゲームしたり、BBQしたりして暮らしている
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このお話は、陸の孤島レベルの隔絶された場所というのが大事なポイントで、そんだけ山奥なので、人間はいるだけで価値があるというのが発見だと思う
実際、彼らニート以外は5人のお年寄りが村に住んでいるだけで、何かとお手伝いしたり、散歩の途中で挨拶するだけでも喜んでもらえて、野菜とかもらったりしている
著者の石井さんは、山奥でも、「仲間さえいれば暮らしていける」と最初に思ったそうな
実際、著者とジョーという二人が最初の住人でそこからこの話は始まっている
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なんだろう、学生時代のゆるい合宿みたいな状態が続いている状態なのかもしれない
衣食住があって、仲間がいてAmazonがあって、自然がある(=遊びに金がかからない)
もちろん彼ら以外の人たちがいるから成り立つ生活ではあるけれど、これは
「AIが人間のやりたくないことをやってくれて、人間は好きなことだけしたらいい未来」
を別の形で先取りした生活に思えるんだが?
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本の最後のあたりにもう一つ著者が面白いことを言ってて、(もっと発展させて)村とか作ったりするのも考えたが、
人為的に作ったものは、すぐ壊れる。山奥にいると、嫌でもそう思い知らされる。自然に、流れのままにが一番強い
と、なんか自分が漠然とわかってたつもりだったことを、リアルな感覚で言われた気がする
山奥ニートは、分かりやすく周りのサポートという人為があって成り立ってるわけだが、都市での生活はそれこそ人為の塊があって成り立ってるわけで、たとえば大災害が起こったときに生き残りやすいのはどちらだろう