ココロミにきみ

本と体とプログラミング

本 生産性 ― マッキンゼーが組織と人材に求め続けるもの

「生産性――マッキンゼーが組織と人材に求め続けるもの」伊賀泰代さん著。

生産性が向上することが ” 仕事で成長すること ” という伊賀さんの定義に深く共感。この本を読んですぐ、「生産性を上げるためにキッチンタイマー」を買ったのと、なんで自分は「生産性をいままで意識してこなったのだろう」と考えた。

ひとつには、生産性を向上させ続ける必要性に晒されなかったこと。ゆるい環境にいたため、現状でなんとかなってしまったこと。もしくは生産性が低いままでもなんとかなる場所を無意識に選んできたこと。 自分はアイデアを考える人間で、その時に生産性を求めるのは違うと思っていたこと。

一番の理由は、命が限りある時間しかないって実感してなかったからかもしれない。

生産性―――マッキンゼーが組織と人材に求め続けるもの

生産性―――マッキンゼーが組織と人材に求め続けるもの

 

 この本を読むと、仕事というフィールドにおいて全然水準の違うところで働く人たちがいることがよくわかった。資料を一つ作るにおいても、新入社員と役員クラスでは10倍以上の生産性の差があると。その新入社員でさえ、マッキンゼーに入社できる頭の良さ全人口の上位1%以内のような人たちなわけで。

その生産性の大事さと、その向上がどんな職種にも(特にホワイトカラーにも)使える概念であり、その方法論をちゃんと教えてくれる。

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ただ、みなが生産性を上げていけたとして、その先にはどういう世界になるんだろう。たとえば余暇がしっかり取れて、短時間で仕事が終わって、世界はバラ色!って感じに・・・はならない気がする。

 全員が生産性を上げ続けられるって仮定がそもそも現実性がないのはわかってるけど、おそらくゲームとして生産性をどんどん上げてみたらどうなるかな?って気持ちでいることを忘れないのが大事な気がする。理由は明確に言えないけど、とても頭でっかちな考え方であることだけは。

 生産性の向上は計測することから始まるので、ちゃんとタイムアップ機能がついてることが最低限。そして視界に常に入るものだから、センスのないものは論外という視点からこれかなと。生産性の向上が習慣になれば安い投資。

 とにかく生産性向上ゲームを真剣にやってみようと思う。

本 「良い質問」をする技術

「良い質問」をする技術。粟津さん著。

人は質問されたら自動的に考えてしまう脳の癖がある。考えて意識に上る回数が多いことを人はするようになる。だから、他人にも自分にもいつもと違う質問を繰り返ししてあげるだけで、行動が変わっていく。

「良い質問」をする技術

「良い質問」をする技術

 

 粟津さんの仕事が面白い。企業のコンサルではなくて、コーチ。コンサルではないという意味は、企業の社長などの話を聞いて質問はするけど、アドバイスはしないという。

質問だけで、クライアントである社長に「気づき」を、いくつも何度ももたらすからこそ、「質問をするだけのコーチ」として仕事が成り立っている。

個人な経験として仕事で、20歳前後の人に毎年何百と質問をしている。相手との関係性にもよるけれど、きちんと自分のことを質問をされることは実は嬉しいらしい。

「あの人と話すと、いつも新しい自分に出会える」って思ってもらえたら、新しい世界が開けそうな気がスル。

 

本 僕たちの居場所論

「僕たちの居場所論」内田樹さん、平川克美さん、名越康文さんの雑談的おしゃべり。

昔からずっと所を得てない感が消えないので読んだ。 

スターウォーズの”Force”の話になる。平川さんは人と話すときに ” Forceというべき強力な何か ” が使えると。それを自然に使ってることで大学院入試をさらっと通り、会社経営ではどんどん資金を集めることができたらしい。名越さんは一つ目の病院勤務のときにForceを使っていた。

しかしForceは才能だから人に伝えることができず、後進に伝えたり育てたりすることができるのは、自分が一から積み上げてきた物事しかないと。逆にForceをいかに使わないようにするかが肝要だとも3人はいう。

いったいForceってなんのこと?と思うんだけど、話してる3人たちも自分のForceはよくわかってなくて、他人から指摘されて初めて分かる。自分には最初から当たり前に出来すぎて、できない人のことがよく分からないような分野があればそれ。

自分のForceに早くに気づいて使えたら社会的に成功しやすいけど、それは結果的にその人をダメにしてしまうらしい。そのあたりの理路がいまいちわからんけど、Forceを持ってる3人が言うならそうなんだろう。その悩み先過ぎる!という人のほうが自分を含めて多い気がするけど。居場所を作るにはForceじゃなくて積み上げ式の努力なんだろうか。

 

居場所のそのものの話としては、名越さんが集団の中にいても個として存在してしまうことに共感。いま勤めてる会社でも同僚や社長から、営業枠、事務枠、⚪️⚪️枠(自分の苗字)と言われる。扱いにくいんだろうなー。ある集団内部にいてもその中に同質化せず、異分子としてうまく働くときは潤滑油だったり、トリックスター的な機能を求められてるんだろうなとは考えている。うまく機能しないときは辞めて欲しい候補No.1だろうなとも。。。そのあり方を是と考えられれば、どこ行っても所を得た感になるんだろうな。

本 いきものがたり

水野良樹さん著「いきものがたり」

いきものがかりの馴れ初めや、路上ライブ時代、デビュー、曲作りなどなど、ファンにはたまらない内容。

読んでいて不思議だけどなんか納得するのが、いきものメンバーが「その場その時として正しいこと」をしていると周りの人が助けてくれるということ。デビュー前のバックバンドをやってくれた友達、ライブハウスの責任者から、マネージャー、ディレクターなど常にその時に必要な人が現れて助けてくれる。それが今に繋がっている。

友達にそういう ” 正しい振る舞いができる ” 人がいる。学生時代に写真を始めて、近所の写真屋のカメラマンを初めとして、どんどん師匠や先達をみつけて技術や世界が広がっていって、会社人を経て結局、世界的な写真家になってしまった。

いったい" 正しい振る舞い " ってなんなんだろう。「何かを自分発の思いで始めるんだけど、その中心は自分ではなくて、自分すらその実現したいもののパーツの一つに過ぎないような振る舞い」なんじゃないだろうか、と最近思う。

いきものがたり

いきものがたり

 

 本を読んでいたら7番目のシングル「茜色の約束」の話が出てきた。ちょうど会社の同僚とバンドで練習してる曲。「出会った二人が幸せでいるんだけど、別れの時まで意識してる感じ」という不思議な歌詞。

そしたら文章の続きに、つねに「死」を意識してすべての歌を書いているとあった。ラブソングの言葉ですら、永遠の愛などはリアリティが感じられないと。人生の有限性を少し強めに歌詞に出してる所も共感されているんだろうか。そういえば昔付き合ってた彼女がけっこう幸せ絶頂のときに、いつかどっちかが先に死んでさよならしてしまうことを思って涙ぐんでいた。結局その前に別れてしまったけど。

閑話休題

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現在の活動休止は、それが「いきものがかり」をめぐる人たちにとって、一番正しい振る舞いで、「いきものがかり」を生かしていく手段なんだろう。

2週間後が同僚とのバンドのライブ。一年に一回だけでメンバーは毎回違う。なまものっぽさだけ勝手に親近感。

 

本 大人の女におやつはいらない

鍼灸師の若林理砂さん著「大人の女におやつはいらない」

現代版「養生訓」。自分は食べ物や生活に気を使う方だとは思ってる…けど、どこかで思考停止というか感覚停止を起こしてる!?というチェックに。

とたとえば本によると、半身浴は体の体質から効かない人がいる。ほんとは説明されなくても半身浴を実践してる人にとっては、その後に気分がすっきりするのか、体がぐたっと疲れるのかが分かってるハズ。

でも半身浴は体にいいハズだからと(感覚停止をして)実践して、余計に体を冷やしている人がいる。・・・そういう自分の中の感覚停止がどの分野で、どの過程で起こっているかをチェックするのにとてもいいと思う。バカの壁の感覚版かな。

大人の女におやつはいらない

大人の女におやつはいらない

 

もともとの養生訓を読んだことはないけど、自分の感覚を大事に頼りにしていくという姿勢はきっと同じなんだろうと思う。感覚を大切にできる生活をするために、どういう習慣を作っていけばいいのか?という習慣の作り方を教える本。

本 ヒモトレ革命

小関さん著「ヒモトレ革命」

この本というか、ヒモを使った体のバランスを深める手法は今年一番のお勧め。

直径6mmのひもが与えるフワッとした触感が、自分の体の存在を主に無意識クンに教えてくれる。そうすると普段使われてない体の部分もよく働くようになって、いつもよりバランスが取れて、楽に動けるようになる。

ってなことを全く考えずに、ただヒモを使って実感して楽しむのが一番オススメ。本にも書いてあるけど、なんらかの体の不調がある人には、生活や仕事の質がいきなり上がる人もいるはず。いやほんとオススメ。個人的な実感でいうと寝返りが増えた。

ヒモトレ革命 繫がるカラダ 動けるカラダ

ヒモトレ革命 繫がるカラダ 動けるカラダ

 

 どうしてこんなに簡単なことで体の働きが変わるんだろう。これって動物にも効くんだろうな。そしておそらく昔の人もこのことを知ってたはずなのに、どこで、なんで廃れてしまったのだろう。

服の始まりって寒さを防ぐためじゃなくて、この体を上手に使うための刺激として発達したってことはないのかな。

本自体は甲野善紀さんとの対談が80%なので、小関さんやひもトレの発展の歴史や応用に興味がある人向け。ひも自体を買えば使い方がついてくるので、試したい人はそれだけで十分。

本 自分の時間を取り戻そう

ちきりん著「自分の時間を取り戻そう」

ちきりんシリーズは読んどけーで読み始めたら、危機感を覚えることになった。「自分の時間はちゃんと取れてますよ」と思ってる人も「生産性」という視点で自分の行動を見直すためにはとてもお勧めの本。

たとえばちきりんは、”現行の学校教育は生産性が低いので、もっと短時間で済ませる方法が存在するんじゃないか?”と主張する(その真偽はともかく)。それに対する反論として”学校教育は(存在する)価値がある”という主張をする人がよくいると。

「ないよりあれば価値があること」と「生産性の低いこと・高いこと」の混同を多くの人は(僕を含め)してるんじゃないだろうか?

自分の時間を取り戻そう―――ゆとりも成功も手に入れられるたった1つの考え方

自分の時間を取り戻そう―――ゆとりも成功も手に入れられるたった1つの考え方

 

他人の「生産性」が低くてもアレコレ言うことではないのだけど、ちきりんに言わせると「生産性」が個々人の間でおそろしく開いていく時代であるというのが、過去と違うと。

つまりこれからの世界が、「AIが同僚」の時代だと考えるなら、まずは仕事で生産性を上げないことには、自由な(私的な)時間を作ることすら難しくなっていく。だってAIや選択と集中で生産性をどんどん上げていく人と競争するのに、長時間働くことで対抗するしかないから。

そのために絶対終わらない量の仕事を自分に課したり、いつもの仕事を半分の時間で無理やり終わらせるという方法論が紹介されていた。やってみる価値はある。さらには先駆けてAIを自分の仕事に組み込む方法を考えるのもありだと思う。

 

蛇足ながら、逆になんだかこの「生産性」があまりに強い指標になり過ぎるきらいもしてきた。自然選択説に反論が思いつかないように「生産性」と同等クラスの指標が見えない。いきものは「生産性が高い」ことが根本的に好きなんだろうか。