ココロミにきみ

本と体とプログラミング

数語という言語

数語:数学という言語を使った、世界の理解の仕方の一つの方法

 

文系と理系という括りに意味はあるんだと今日は一つわかった。それは「数学が得意かどうか」ではなくて、「数学を言葉として使うかどうか」という点。日本語や英語を使って、世界を理解するのではなくて、数学自体を言葉として世界を見ることができるか。

 

理系の訓練を受けた人には数語は当たり前すぎる話なんだけど、その訓練を受けてない人は、数学という言語で世界を理解するという発想が全くない場合がある。

・・・ということに最近気付いて。数語を使わない人たちは、実感を超えた現象や話に出会った時に、あくまで日常生活の「比喩」を通じて世界を理解する。

ここにはけっこう超えがたい壁がある。どっちがいいか悪いかではなくて、数語を使うかどうかの境目に、大きな発想の断絶があるってことだけ、お互いに知ってるのが大事なんだろうと思う。喧嘩が減るから。

 

見えにくいけど、数語は日本語や英語と同じレベルで分類して良いものだと思う。って考えるとおそらく同列に、体語も間違いなくあるだろうと思う。ああ、そういえばそういう本あった。

体の知性を取り戻す (講談社現代新書)

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私の身体は頭がいい (文春文庫)

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内田さんのほうがとっつきやすい。伊さんのほうはまだピンときてない。ってか身体でピンとこないと理解できてないわけで。