ココロミにきみ

本と体とプログラミング

本 本好きの下剋上 

本好きの下剋上」 香月美夜さん著

転生ものの小説では、もしかして一番人気じゃなかろうか?

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この作者の面白さは、主人公の「マイン」が

・本好き(転生前の世界と同じ)

・体が虚弱(理由となるもう一つの設定はある)

・平民と貴族と魔法がある世界に転生する

という設定だけを頼りに、壮大なストーリーを展開させる実力を持っていること

たとえば、貴族は誰かと会うときや物を贈るときなどは、すべて「側仕え」を通して処理して自分は直接手をくださないなど・・・っぽいっぽい!って思ってしまう(笑)

そして貴族は「側仕え」と「護衛騎士」がどこに行くにも必ず必要で、その側仕えや護衛たちも、ちゃんと貴族の学校を卒業しないと成れないとか

そういう一つ一つの設定が、ちゃんと物語を豊かにする伏線として回収されていくところが本当にすごいと思う

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とりあえず読み出すならピッコマでいいと思う

でもブツ切れで読むと大変だから結局は、本を手にいれることになると思われ

図書館もオススメ

全体的な印象をいうと、最初のほうの話と、中盤・後半とがマインの状況が変わってきて、同じ密度で書かれてるのがなんだか不思議な気持ちにさせらる

おそらく、普通は連載がもっと短い段階で打ち切られるから、この小説のように息の長い話が一つの作品で展開される、という経験自体が読者としても珍しいのだと思う

piccoma.com

 

Amazonならこちら

でもさすがに2022現在で31冊出てるから、なかなか手が出ないだろうと思う

現在「女神の化身」の直前で、やっぱそう来た!?・・・とほくそ笑んでるところ

ちなみにコミック版も出てるけれど、小説を読んだ人が確認するための構成になっていて、話の道筋がだいぶ省略されている

秋の夜長に

フリースクール・ボランティアのススメ

ご縁があって、フリースクールのボランティアを始めました

プログラミングの先生という肩書きです・・・とはいっても、まだ一行もプログラミングを教えたことはありません

毎回、「子どもたちが何かするのを一緒に楽しむ」というのが正直なところで、自分で言うのもなんですが、その「気持ちの柔軟性」がご縁になったのだろうと

もちろん教えることを諦めたわけではなく、子どものできることを増やしていく途中に「プログラミングをやりたい」という要望がでたら、教えるといったスタンスになった感じです

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集団の小学生と向き合うのは面白いです

子どもの間で人間関係が作られていく様子や、微妙な駆け引きを眺めたり

よくも悪くも、子どもは周りの子たちとの関係性に、成長が引っ張られていくのだなという気がします

隣の子がやるから自分もやってみたら出来るようになった、みたいな・・・そうやって人間が変化していく様を側で見られるのは、とても楽しい

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また、フリースクールに関わると人間関係も広がっていきます

民間のフリースクールは資金繰りが大変なのが普通で、それゆえに地元の多くの人たちの協力がないとやっていけません

場所を無償で提供してもらったり、物品やチャンス、人出も提供してもらったりする中で、お互いに新しい人間関係が作られるのかもしれません

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最後に、自分も関わり始めたばかりですが、「フリースクールのような存在が必要とされて、でも足りない」という状況がしばらく続くのだろうと思います

おそらくそれは社会の息苦しさと通底するもので、フリースクールの風通しの良さは、アメリ東海岸の、自分の家のガレージで仕事を始めたテック系の若者たちの自由さ・奔放さに似ている気がします(お金が儲かる見込みがないことだけが違う)

関わることで経済的なメリットはないかもしれませんが、時代の最先端をここで感じることができると思います

フリースクールのボランティア、おすすめです

週一くらいで

本 寝ても覚めてもアザラシ救助隊

寝ても覚めてもアザラシ救助隊」岡崎雅子さん著

 

「アザラシ推し!」を、人生を捧げて体現している著者

子どものときにアザラシが好きになり、アザラシのそばで生きるを自分の定めとして、獣医になり、北海道のとっかりセンターで働く

アザラシが恋愛をしたり(&報われなかったり)、飼育員にちょっかいを出したり、魚の好みが個体ごとに違うとか、外見以外しらんかったアザラシが前より好きになった

もうアザラシへの愛しか感じない本なんだけど、「なぜアザラシを助けるのだろう?」というのは中立的な意味で疑問になった

ぶっちゃけ、怪我をしてたアザラシの子どもが「可愛かったから」助けようと思った、とかなんじゃないかな?

 

あと、本を読んで分かったのだけど、「アザラシの頭の良さ」というのもある気がする

人間と「コミュニケーションが取れる」というのもあるだろうし、アザラシ同士が「恋愛したりする社会性」に(しかもかなり中二病っぽい恋愛をする奴がいることが本でわかる!)、なんか自分たち人間を見てるようで、助けたくなるってのがあるのかな

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アザラシ(だけ)を助けるというのはそもそも身勝手な行為だけど、それはそれでいいんじゃないかなと

とっかり(アザラシという意味)センターに行きたい!

映画 マイスモールランド

なら国際映画祭で「マイスモールランド」を見てきた

難民申請をしているクルド人一家の日本での生活を描いていて、展開は想像に難くないと思うのだけど、難民申請は却下される

・・・そのあとはどうなるのか?  

滞在許可ではなく、「生きてるだけなら許可」証みたいなのが出る

ビザではないので、就労不可、大学進学不可、県外への移動不可

・・・見ててだんだん辛くなる映画なのだが、主演の嵐莉菜さんの光と影の魅力が展開を支えている


www.youtube.com

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話は変わる

日本は難民を認定しないことで有名な国だけど、なんでこんなに難民を拒むのかよく分からない

一つの視点から言うと、日本人のDNAは型の種類が世界でも多い国で、つまりは歴史的に、色々な海外の地域から&いろいろな時代に、難民が多数流れ着いて居着いてできた国であると言える

そんな「難民and難民のハイブリッド子孫」である自分たちが、国の成り立ち方を否定してどうするよ? ・・・というか逆に「そもそもの日本らしさ」って「難民が断続的に来てくれて、それをどこより受け入れる国」だったりするんじゃない?

まぁそんなことを突然考えたのだけど、難民問題は、日本で普通にいま暮らせてしまっている人にとっては、考えずにスルーしても自分の生活に支障はない(ように思える)し、実際、自分も行動を何かしたこともない

最後にもう一つ自分へのツッコミをいうと、主人公のお父さん役の「髭もじゃのマリオみたいな父」が主演だったら、それはそれで魅力のある人なんだが、でもこの映画を自分は見なかっただろうな・・・

筆算はアルゴリズム

小学校で習う日本の筆算は「アルゴリズム」だと知って、えっと思ってしまった

たしかに、あの一連の手順を知らなければ二桁以上の掛け算の解法は想像がつかない

・・・今回は「筆算とアルゴリズム」の価値について考えています

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ちなみに筆算の方法は、それぞれの文化圏で独自にやり方がある

数千年前のエジプトのナイル川の氾濫対策の公共事業には、大きな数の計算方法があったはずで、その時代から技法があるのにそれが伝わらずに文化圏ごとに計算方法が違う

このことから類推できるのは、大きな数の計算技法は「すごい価値がある」ので、秘密にされてきて、文化圏ごとに独自に発明する必要があったのだろうと

単なる技法として習った気がする筆算の価値を、自分はよく分かってなかったかもしれない

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話をアルゴリズムに戻すと、アルゴリズムとは、手に余るような大きな目標を、単純な作業に分解して行う仕組みだと言える

日本の筆算を改めて言うなら、例えば322✖️212みたいな計算は、

・一桁同士の掛け算

・繰り上がり

・同じ桁の足し算

という3つのプロセスに分解してそれを繰り返すことで、目標の難易度を下げて達成しやすくしている

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ちなみにインドの筆算で322✖️212は、

・3本,2本,4本(322)と、2本,1本,2本(212)と数のぶんだけ交わるように線を引く

・桁ごとに交点を数える

・同じ桁の足し算

・繰り上がり(上の計算なら12が繰り上がって、68164が答え)

というプロセスに分解して行う

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余談だが比較すると

・インド筆算は、一桁掛け算知識が不要 / 計算は2つの項まで

・日本筆算は、一桁掛け算の暗記が前提 / 項の数にしばられない

という特徴がある

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アルゴリズムの話を展開させる

この「難しいことを簡単な作業の繰り返しに分解して達成する」ことは多くの人が、日常的に行っていると思うのだけど、その分かりやすい極みがプログラミングなんだろうと

例えば10万円を、利率1%で10年の複利計算は、

m = 100,000

K = 1.01

Years = 10

for ( y = 1 to Years ){ 

     m =  m * k // 左辺に右辺の計算を代入する

}

print ( m ) // 110462円

これも複利計算という手間のかかる計算を、「一年毎の計算と年数」という形に分解して計算を繰り返す仕組み(コンピュータ)を使うことで結果を得ている

つまりは、筆算を学ぶということは、プログラミングを学んでいることであり、アルゴリズムを学ぶことなんだと

もっと言うと、大量生産の仕組みは全て「アルゴリズム」で作られているわけだから、現代社会の縮図を一番簡単に学べるのが「筆算」なのだろう

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・・・さてさて、筆算の価値がわかってちょっと納得です

個人的に、web版の「カード・ドラッグ型」筆算アプリを作っていて、「筆算を学ぶことにエネルギーをかける意味ってなんだろう?」と思っていたところでした

ちなみに「カード・ドラッグ型」というのは、数字を書く代わりに、数字カードをドラッグすることで筆算をできるようにしたものです

たったそれだけのことですが、文字や数字を書くのが苦手で筆算ができない子どもが、筆算ができるようになるのです

iOS版はアップルストアにあるので、入り用の方はこちら「札算」をApp Storeで(無料です)

web版を待つ!という方は完成まで、読者になっておくのがオススメ(笑)

本 計算する生命

「計算する生命」森田真生さん著

個人的に大学の数学と物理で躓いたクチなんだけど、その理由がよくわかった

・高校までの数学は18Cまでの体系で、「直観」でわかるもの(それでも難しいが!)

・大学からの数学は19C以降のもので、「直観できない概念による操作」(リーマン面とか)

この「学ぶものの質的な違い」を、もっと言語化してくれる先生がいたらとは思う・・・大学の勉強が、「なんでこんなに分からないかが、分からなかった」から

閑話休題

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この本は、数字がまだなかった時代に、農作物の収量をトークンという概念を作りだして理解したことから始まり、デカルト幾何学に始まって、中世のカント、そしてリーマンやフレーゲまで、人間の認識の広がりと数学の関係を紐解いていく

自分の認識がどのように出来ているかを含む話なので、そもそも扱いが難しいテーマで、それに出てくる数学の話が難しいので、正直半分もわかっていない

しかし、自分の頭が18Cまでの数学や認識でほとんど出来ていて(多くの人もそうだと思うけど)、でも同時に科学や技術は(つまり日常生活の裏側は)、19C以降の数学を使って成り立っている

大きな分断がここにあることを知ったのはとても大事だった

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何ページもノートを取りながら読んだけど、これは読書会にして、「全員がわかるまで議論してちょっとずつ読む」が向いている本だと思う

そしてそれをするだけの価値がある本

本 わたし、解体はじめました

「わたし、解体はじめました」 畠山千春さん著

筆者は鶏を絞めて食べるワークショップを開催しているのだが、初めて自分で絞めて食べたときに「その鶏が自分の体の一部になった感覚」があったという

そして自分の一部になるのだから「幸せに生きてきた鶏を食べたい!」と思うようになり、また、自分の体が欲する(野生の)肉の量が少量でいいことがわかったと

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なんかすごくわかる話で、ゲージの中に詰め込まれて動けないブロイラーの鶏生(人生の鶏版)って、あんまり幸せな気がしないし、それを食べる自分も幸せな気がしない

比較して、平飼いの鶏だとか、野山を駆け巡って生きてきた鴨とかは、肉に詰まってるパワーが違う気がする

そうやって幸せに生きてきた鶏とかを食べると、肉のパワーがすごいからいつもより少なめで自分の体が満足するのだろう

・・・個人的には、今はスーパーの肉でも美味しいと感じるときはあるんだけど、ジビエの肉を食べたらもう戻れないような気もする

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本の後半は初めて獲物を獲るまでの話で、新人猟師のリアルさがわかった

なんとなくでは絶対獲れなくて、一定のレベルに達してやっと勝負が始まるという感じ

広い山の中でごく最近の足跡を発見して、そこにどれくらいの集団がいて、どんな頻度でどういう道で動いて、その中でも具体的に「この足跡のやつをここで獲る」という具体的な狙いができるようにならないと獲れないと

それはたぶん、ほとんどの人が動物がどれだけ賢くて、用心深くて、どんな行動をしているのかを命をかける深さで向き合ったことがないから

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猟師になりたい、猟師をやりたいと思ってる(自分のような)人間に立ちはだかる関門は、この最初の一頭の捕獲だろう

先住猟師がいない山を探して毎日通って、足跡を見つけてイノシシの個体識別ができて・・・って、どんだけ山に入って、空振りをしたらできるようになるんだろう

とても面白い本です