ココロミにきみ

本と体とプログラミング

本 座りすぎが寿命を縮める

 「座りすぎが寿命を縮める」岡浩一郎さん著

座り続けることが健康に悪いことは前から知っていたが、より具体的に知った。

・30分以上連続して座ることは健康によくない

・他に運動しようが、座りすぎの影響は打ち消せない

・連続して座っているとパフォーマンスが下がる

「座りすぎ」が寿命を縮める

「座りすぎ」が寿命を縮める

 

あとは本で詳しく読んでもらえばと思うので、ここからは個人的なことを書く。

ヨガをしたり自分の体に対して繊細に感じられるようになるにつれて、仕事場でずっとパソコンの前にずっと座ることが苦痛になっていた。自覚できるほどフラフラ歩き回ってるなーと自分でも思っていた(他人からはきっとなおさら!)。思えばそれは体からの防御反応だったのかもしれない。

しかしこれ、一度自分の体の声に従って体が気持ちいいように動くことを覚えてしまった今、もうずっと座る仕事は無理なんだけど、大丈夫かな自分の人生・・・?

* * *

家での仕事用椅子も、なんとなく動き回れるほうがいいなと、お医者さんが使うような丸椅子に替えた。この椅子だと長く連続して座る気にならないのが体のためにはいい。その分、集中が続かない問題はあるが・・・。(座った時の感触として、思ったより丸椅子の部分が広い。プラスチック感はあまり気にならない。動かすときの軽さと座ったときの動かなさのバランスがいい。)

この説に従えば、多動障害の意味も変わってくるのかもしれない。落ち着きがないというより体の声に素直に従ったら、授業中にずっと座ってられないと。

逆に授業中(仕事中)にずっと座ってられるのは、悪い意味で社会化されたことによって、体の声を無視して、” 意識 ” に座らされているのが本当のところかもしれない。

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そういえば5年くらい前に一度、スタンディングの勉強やパソコン法を試したが、引越しを機に辞めてしまったことを思い出した。著者も言っているが、家はともかく職場でスタンディングで仕事するのは、周りの目という障害があると。

職場はさておき、家用にはこれに足場として、マルミツの心のバランスボードで最高の組み合わせじゃないかと。

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本によると著者はアップル・ウオッチを使って、50分ごとに動くことを促すアラームがなるようにセットしているらしい。ここまではまだ手が出せないな。

最後に蛇足で付け加えるならば、”座る”ということ自体が変われば、もしかしたら長時間もOKかもしれない。自分の座禅の師匠である住職が「普通の人は”座る”が出来ないんです」と。「身も心も全部放ち、体に全て任せて”座る”ことが「座禅」なのです」と言っている。

その「座る」は体を殺さず、動いていることの一形態としての”座る”が存在しているから。まぁそれはそれ。

 

本 学ぶ心に火をともす8つの教え

 「学ぶ心に火をともす8つの教え」武内彰さん著

学校のあり方の一つの例を書いた本だけど、教育機関に限らず使えると思う。

たとえば、日比谷高校ではどの先生の授業も他の先生が見学に行っていいという。授業技術を共有化してチームとして蓄積していき、(先生の能力差による)生徒の不公平感を減らすためだという。

問題はいやがる先生にどうやって協力してもらうかだろう。その時に「共通の判断基準(その集団の目標や理想)」があれば協力を得られやすいし、「相互に見学を受け入れるのが当たり前の文化」を育てていくスタンスが大事なんだろう。

学ぶ心に火をともす8つの教え 東大合格者数公立No.1!! 日比谷高校メソッド

学ぶ心に火をともす8つの教え 東大合格者数公立No.1!! 日比谷高校メソッド

 

 また、生徒に自分自身を把握してもらうための面談を年4回やっていると。

現在の苦手科目は何で、どう伸ばしていくか、目標をどこに設定するか、学習の障害になっていることは何かなどを、教員と話してデータベース化していく。

そのデータベースがあることで、生徒は自分が3年間というプロセスのなかのどういう位置付けにいるか、どう成長してきたかなどを確認できるようになる。

さらにその情報は担任以外にも他教科の先生も把握でき、どの先生でもその生徒の相談に乗ることができるようになる(どの先生に相談しても良いと校長先生が宣言している)。

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これ以外にもたくさんの取り組みがあるのだけど、生徒の大学合格がゴールになっていないことは大事なことだと思う。高校生という時間を全方向に使い切って、それが生徒の個人として、集団としての成長につながり、結果合格もしていく。

そうやって伸びていく生徒の可能性を、校長先生自らが信じきるからできる学校のあり方だと思う。

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このあり方を一つでも実践していきたい。

 

本 ローカリズム宣言

ローカリズム宣言」内田樹さん著

”別の視点”というのを意識させられた。

いまの時代に田舎に行って農業に向かう若者がいる。それを市場的な視点からみると、効率化がし辛く(儲かりにくく)賢い選択のようには見えないかもしれない。(それが分かってて)他の分野でも活躍できるかもしれない人が、あえて地方に移り住み、農業に向かう理由が想像つくだろうか?

改めて確認すると、農業は多くの周りの人と協力しないと仕事にならない ” 非効率な仕事”であることは変わらない。自然を相手にするから計画通りにいかないし、周りの農家との協力関係も作らないといけないし、仕事以外にも近所づきあいだとか無償の奉仕とか、面倒臭いことが山のようにある。

それを市場的な視点で言えば ” 非効率 ” と捉えるのは当然で、自分を含めて今を生きる多くの人たちの認識も同じだろうと思う。そんなことは百も承知で、冒頭にあげた若者が都市を離れて農業にいまから向かうのは、どんな欲望がそこにあるからなんだろう?

ローカリズム宣言―「成長」から「定常」へ

ローカリズム宣言―「成長」から「定常」へ

 

 内田さんの話をよく読む人ならご存知のクラ (交易) - Wikipediaがヒントになる。クラ交易というのは、”クラ”と呼ばれる装飾具を、異なる部族間で贈り合う風習で、クラ自体にはとくに価値はない。ただ、そのクラを贈り合うプロセスを維持することで、部族間を隔てる島々を渡るための航海技術や造船技術を持つことや、敵になりうる部族のなかに自分の協力者を作る能力など、人間として成長するプロセスがお互いに必要となる。

クラを贈り合うという(一見無駄な)風習を維持することで、それぞれの部族に成熟した人間がつねに一定数維持されて、それぞれの部族が集団として生き延びる可能性が高くなる。

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この視点を借りると、農業をするということ(周りの人との協力関係を作って維持していくこと、自然と向き合うこと、作物を育てる技術を持つこと)は、「今の時代のクラ交易プロセス」と言える。

冒頭にあげた若者たちは、自分たちが成熟した大人になりたいこと、またいまの社会に一定数の大人が必要なのにそれが足りていないという危機感から、農業に向かうということを無意識に選択しているのかもしれない。

その動きの走りに内田さんが名前をつけたのが「ローカリズム宣言」だと。

ドラマ 逃げるは恥だが役に立つ

 「逃げるは恥だが役に立つ海野つなみさん原作

 年末年始の再放送も見て、このドラマが人気になったのはガッキーの魅力だけではないことがやっとわかった。

二回目を連続して見てやっと気づいたのだけど、「対話」によってお互いが成長して変わっていくことで問題を解決していく、というドラマは昨今稀なんじゃないかと。技術も必要なく、お金も関係なく、ただ相手と向き合って正直な気持ちを伝え合って、傷ついて、火曜日のハグでなんとか元に戻って。

誰でも出来るのになかなか出来ないことをテーマにして、ドラマで見せてくれるから素直に憧れられる。個人的にはこのドラマで言うなら第8話あたりで終わってしまった自分の過去と向き合わざるを得なかったり。。。

逃げるは恥だが役に立つ DVD-BOX

逃げるは恥だが役に立つ DVD-BOX

 

 言葉の重みがどんどん軽くなっていく今だからこそ、言葉を大切にしてひとつひとつ味わって、言葉に責任を持っている姿がとても眩しいのだろう。そして、言葉をとっても大切にしているのに、同時に言葉だけでは足りないこともよく分かっていて、そこに「火曜日はハグの日」という発明をしたのが決定打だった。身体でしか表現できないことや伝わらないことを忘れちゃいけない。

しかしこのストーリーの良さも、主人公2人と取り巻く人たちの魅力がなければ伝わらなかったわけだし、キャスティグも最高だったと思う。最後の「恋ダンス」のガッキーの踊りのキレと笑顔もすごい。実際に恋ダンスの映像作って踊ってみたけど、踊るのに必死で笑顔なんてムリムリ!

まぁやっぱりガッキーありきかな。

本 運命の恋をかなえるスタンダール

 「運命の恋をかなえるスタンダール水野敬也さん著

万平聡子は過去にトラウマがあり男の人とうまく付き合えないまま大人になってしまった。あるとき本棚からなぜか本が一冊落ちてきて、それがスタンダールの恋愛論だった。そこからスタンダールの恋愛指南が始まる。。。

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個人的にとても、とても、ためになった。恋愛妄想派の人はきっとこの本の主人公、万平聡子と(含む自分と)同じ失敗をしているハズなので紹介したい。

恋愛妄想派の人(含むガールズトークの盛り上がり)は、相手のことを自分が勝手に都合よく考えている間に ” (相手の)結晶化作用 ” がどんどん進んで、なのに実際の関係はそのままで、そのズレが大きな原因の一つとなっていつも失敗する。

相手のことを妄想する時間を減らし、相手にとって ” 自分 ” が結晶化作用を起こすために行動をしていく。このこと一つでも妄想派の人には転機になるんじゃないだろうか。

運命の恋をかなえるスタンダール

運命の恋をかなえるスタンダール

 

改めて言うまでもないんだろうけど、相手にどう思われるかを気にせずに自分が素直に感情を出して、これは好き、これは嫌いというのを相手の会話の中で普通に出していくのが一番いい。だから気にしてない相手には好感を持たれることが多くて、気にしてる相手には自然になれないから好感を持たれにくい。

そういう自然さをまずは目指して、その中に少しだけいたずら成分をいれよと。悪女成分をいれよと。小悪魔成分でもいい。気があるかも?そぶりをちらっと入れて、ほっとくとか。相手の周りの人に親しそうに振舞って嫉妬を煽るとか。そこだけはプラスαのテクニックで。

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そんなん当然じゃん!って人にはおよびのない本なので、結晶化作用にピンと来た人は読んでみると水野敬也さんに感謝したくなるかもしれない。ちゃんと小説としてのオチも用意してるのはさすが。

本 考える練習帳

「考える練習帳」細谷巧さん著

得たもの3つ

 ・川上思考ー川下思考

・知らないことすら知らないことを、知らないことを知ってることに

・プレゼンや説明をするとき、構成は考えて作り、伝えるのは感情に訴えて

考える練習帳

考える練習帳

 

 いくつか考えを整理させてもらえた。

AI時代にどう考えていくか?というのが著者の出発点。まず川上思考と川下思考という見取り図が出てくる。

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川下思考        ーーーーー 川上思考

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川下思考の分野ですべきことはルールにきちんと従うこと、疑問をもたずにどんどんこなすこと。処理すること。つまりは現場。

川上思考で求められるのは、なぜか?を考えたり、そもそもを疑ったりすること。疑問を作り出すこと自体が大事。

自分がいる場所がどちらで、どちらの思考を大切にされているかをきちんと見極めて動かないといけない。特に中途半端に考える人は(自戒を込めて)。

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そして、川下思考の場というのは問題設定が決まっており、それを解決する・処理することがプロセスの大半になるわけで、AIが代替しうる。そう考えると今後、どれだけ自分を川上思考の打席に立たせるかが大事になってくるんじゃないか??そこで何をするかといえば、

 「知らないことすら知らないこと」:川上

       ↓

 「知らないことを知っていること」:川中・川下   

に変えていくことだと。つまりは ” 問題 ” を自分で探りあてるのがすべきことだと。適切な問題が設定されれば解決は他の人かAIに任せればいいと。

もちろん同じ人の中でも川下思考で動く必要がある場面は多々ある。川下から川上まで往復運動を意識せよというのが最終的なバランスだと思う。

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そして世の大半は「考えない人」でできていると認識すべきと。もし「考える人」が他人に説明するときには、普段の言葉遣いや抽象度で話しても、それは伝わらないことを認識せよと。具体化して、個別化して、経験化して、感情に訴える所まで練って、やっと伝わると。

そうしないと、その「考える人」は、伝わらないことを力説する「変な人」か「イタイ人」扱いされてしまうのだろう。

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中途半端に考える人間として、伝わらない失敗経験だけは事欠かない。その理由と改善策がわかったことはとてもありがたい。そして、川上思考が必要とされる仕事は何か?という視点で仕事を見られるようになったこともめっけもん。

本 会社はこれからどうなるのか

 「会社はこれからどうなるのか」岩井克人さん著

この本は本当に面白かった。資本主義の根本である「差異」の時代的変遷を追うことで、これからの自分の仕事って社会の中でどういう位置づけ、意味づけがあるのか?という遠回りだけど着実な足元を作ってもらった気がする。

その変遷を言葉にしてみるなら「あっちの町だとこれ売ってないから持って行けば高く売れるよ?的な商業資本主義から、生産設備もっとるけん、どんどん若い人来て働ていやーっていう産業資本主義になり、賃金あがったけん設備持ってても儲からんから、ブランドとか知的財産とか、デファクトスタンダードとか「情報」の差異で稼ぐんや!のポスト産業資本主義と。」という感じなのかな。

そして、国ごとの成長時代のズレが、そのまま高度成長期のズレになり、停滞期のズレになり。この話の延長でいうなら現在の日本の産業構造は、産業資本主義の後期に特化されており、そこからポスト産業資本主義に移行する時の混乱した(停滞)状態にあると。アメリカは日本の高度成長期にすでにポスト産業資本主義に移行するための停滞期を迎えていたと。

会社はこれからどうなるのか (平凡社ライブラリー い 32-1)

会社はこれからどうなるのか (平凡社ライブラリー い 32-1)

 

 そういう社会構造の変化を前提として、その中で会社がどうなっていくか?という話に繋がっていく。結論から言うと、アメリカ的な株主主義ではない、形として多くの日本の会社に近い会社の在り方になるんじゃないかと。その理屈はポスト産業資本主義が求める「差異」を作り出す仕組みが、どうしても属人的なものになるからだと。その途中の理路は本を読むべし。

会社がどうなるか?という疑問よりも、自分がどう現代に求められる「差異」を生み出す過程に関わるか?の視点をもらったのが一番の成果。