ココロミにきみ

本と体とプログラミング

本 システム感情片付け術

小笠原和葉さん著「システム感情片付け術」

理系ボディーワーカーが教える

理系ボディーワーカーが教える"安心" システム感情片付け術

  • 作者: 小笠原和葉,伊東昌美
  • 出版社/メーカー: 株式会社 日貿出版社
  • 発売日: 2016/05/17
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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ボディーワーカーである著者の言葉がとても面白かった。

「治すべきところ」ではなく、「より多くの可能性を発揮したがっている場所」がぼんやり浮かび上がってきます。

とか

実は姿勢には「生きているって、こういう感じ」という、ベーッシクな感覚が刻まれているのです。

施術者としての著者は、「治す」じゃなくて、クライアントのカラダが持っている生きる力を根本から信じて、その力を解放していくお手伝いをちょっとだけしてる、という感じが伝わって来る。そのスタンスがすごく真っ当な気がして、だから好感が持てるんだなと思う。

この本が大事なのは、この施術者としての著者の存在を知ることだろうと思う。どうしても困ったらこの人に頼みたい、という信頼が作られる本。

 

本 さよならインターネット

「さよならインターネット」家入一真さん著。

家入さんが、ネットサービス提供者として関わってきた、個人的なインターネット情緒史がそのままネットの歴史になっている本。タイトルからどういう話なんだろう?と興味を持って読んだら、なるほどインターネットというのは、意識から消えていく存在だということがよく分かった。

 とくに、ネットの情報の選別技術の発展で、誰もが自分にとって(当面)心地よい情報しか得られなくなっていくことの弊害というかつまらなさ、という著者の話はよく分かる。実際、毎日自分がネットで見る情報の狭さというか、世界に繋がってるネットを使ってるのにこの閉塞感は何だろう?と感じていた。その一つは、膨大すぎる情報ゆえの必要不可欠のキュレーション技術がもたらす偶有性の排除が原因なんだろう。

著者はだから、足を使ってリアルに外に出ていけ、知らない人に会え、知らない場所にいけという。ネットの輪郭が消えて、オフラインという言葉が意味をなさなくなったときに、どこまでオフラインの視点を時間を関係を持ちうるか。そしてそのことが、ネットの輪郭の消えた世界で、新しいことを生み出していく力になると。

 

 

本 養老孟司の人生論

 「養老孟司の人生論」

養老さんのように東大の医学部の教授になり、好きな虫取りをして、鎌倉に住み、本も売れて…という人が一言で言うなら「自分の人生は所を得なかった」という感想を持っている。

養老孟司の人生論

養老孟司の人生論

 

 意外な気もするけれどその部分が、自分を初めとして多くの人が共感を持つ根本の理由なのかもしれない。

常に、自分が今生きてる場にそぐわないように感じている。それでもその場で真面目に働き、大きな疑問を抱え、その場を楽しみ、日々暮らしている。

そぐわないと感じるからこそ、その場の花形ではない、時代が変わっても変わらない一見地味なものを追い求めるんじゃないだろうか。その足腰の確かさが内田樹さんを初めとした野蛮人の会の人たちを集めたんだろうと思った。

今回の本はいつもとちょっと違って、養老さんがいまの思い、考えに至るまでの自分史の紐解きをより詳しく述べている。いつものように、結論だけさらっと言われて煙に巻かれることも少ない。

ひとつでも多く受け継ぎたい。

映画 永い言い訳

西川美和監督の映画「永い言い訳」を見てきた。

主役の本木さんの顔が状況に応じて本当に老けて見えたり、生きることを取り戻して若返ったりと印象的だった。

大事な人との関係がどうしようもなくなって、無意識に感覚を麻痺させることでその状況を耐えてる自分にも気づかない。そして、大事な人との関係が二度と戻れない状況になって初めて、自分を固めていた麻痺がほぐれて感情に気づく。

nagai-iiwake.com

誰もが、いったい自分はどこで大事なものを間違えたのだろうかと思う。

いまは少しだけその答えがわかる。人生で一番大事なときにミスを誘うのは「意識」だと思う。なぜなら意識は「意識」が変わらないことを一番大事なものとしようとする。人生の一大事というのは、環境がものすごく変わりそう瞬間なわけで、(その人自身を含む)環境が変わってしまったら「意識」も変わらざるを得ない。それは「意識」にとってはイヤ。

だから一番大事なときに「意識」は「(変化を感じ取って自分や環境を変えようとする)感覚」に蓋をする。

 

それだけ分かってたら、一番大事なときこそ「感覚」に耳を傾ければと思う。でもきっと普段から「感覚」を大切にしてないと、大事なときだけ「感覚優位」なんて無理なんだろう。そもそも「感覚」を大事にしていたら、おそらく人生の一大事で「意識」が前面に出て来ないんじゃないかと思う。

永い言い訳は「意識」が「意識」を含む本人全体への、「オレは悪くないよ」アピールだと思う。

 

永い言い訳 [DVD]

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本 勝ち続ける意志力

プロゲーマーの梅原さん著「勝ち続ける意志力」

梅原さんがゲームを始めてチャンピオンになって、ずっと勝ち続けて神と呼ばれるようになるなかで得た、”勝つことと、勝ち続けることの違い”が面白かった。

普通の人からしたら、勝つことだけでもすごいことなのに、勝つことだけを目指したら、勝ち続けることはできないし自分のためにもならないと。

例えばゲームで普通に強いことを10としたら、定石を学べば10までは簡単に行けるんだと。でも、その10を越えるためには定石を捨てて、自分で1から積み直さないといけない。すごく遠回りだし時間もかかるし、失敗するかもしれない。ただ、そうやって自分でやらないと10を超えた11や12、13には行けないのだと。

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

 

 そしてゲームでは、対戦相手の性格、パターンを読むことも大事なことなんだけど、最終的にはそれさえも必要なくて、平常心の自分であることと、思う通りの形を出し切ることだけが大切になってくるんだそうな。

なんか武術の奥義みたいだ。梅原さんがテーマにするのが格闘ゲームだからかもしれないけど、古武術甲野善紀さんも秘伝書の話で同じことを話していた。相手の刀が自分に降りかかってきても、それを全く気にせずに相手に打ち込むことが出来ること。梅原さんは現代の武士なんだろうな。

 

結局なにか新しいことをやるとき、ちょっとやる分には定石を学ぶのが楽しめる一番で、本気でその分野を極めようと思ったら、一つ一つ自分で考えて向かっていかなければならない、というとてもオーソドックスでブレない本だった。

本 悩みどころと逃げどころ

格闘ゲームの神、梅原大吾さんと社会派ブロガーのちきりんさんが「いい人生とは何か?」を巡って対談。

梅原さんは子供のときから自分で0から考えることが好きで、本質的な疑問を持っていたため学校教育には馴染まず、格闘ゲームの道で若くして世界一となった。一方、ちきりんさんは学校エリートとして、大企業、留学、外資系企業を経てフリーのブロガーとなる。

対照的な生き方の二人だけれど、行き着いた先は同じ「自分の力で生きて行く人生」。

考え方の違う二人が同意したことの一つは、今の学校教育は「考える力を奪う」と。それは教育業界にいる人間として自分でも日々痛感するし、自分自身を省みても「大事なことを自分で考える経験」が圧倒的に不足している。

悩みどころと逃げどころ (小学館新書 ち 3-1)

悩みどころと逃げどころ (小学館新書 ち 3-1)

 

個人的には受けてきた学校教育に感謝している。というか出会った先生たちに感謝している。受けた教育全体として「自分で考える」経験が少なかったり、「自分で考える経験」を大事に育ててもらえた訳でもないけれど、学校教育を批判的に見ることができるようになるベースも作ってもらえた訳だし。

「自分で考えないこと」って学校教育だけの傾向ではもちろんなくて、社会全体がそういう方向になっているんだろう。その中で自分ができるまず初めのことは、自分が「自分で考える人」になっていくこと。

というか「自分で考える」という禁断の果実をすでに齧ってしまった人は、ちゃんと考えて考えて、あがかないと「あの時挑戦しておけば・・・」的な不完全燃焼のまま人生が終わってしまう。

それがいやなら、上手くいこうが、失敗しようがとにかく自分で動いて、あがいて、自分の器をちゃんと知れたら人生に納得がいくはずだと二人とも言ってるし。

切り口の多い面白い対談だった。

 

映画 聲の形

映画「聲の形」を見た。

ガキ大将だった将也と、耳の聞こえない硝子が出会い、お互いや、周りの友人関係を通じて成長していく。

この映画では、耳が聞こえないことは、人と人とが分かり合いたいときの障害の一つに過ぎないことが普通に描かれている。ただ、障害の一つといってもやはり目立つのでいじめの対象になったり、本人をとことん追いつめてしまう。

同時に社会的引きこもりになってしまった将也も、硝子と関わることで(好きになったことで)周りの人たちとの関わり方を一つ一つ学びなおしていく。

その社会への復帰の描かれ方に、憧れと共感を覚える観客がたくさんいるだろうと思う。特に、将也が硝子を含む友達6人で一緒に楽しそうに歩いている時に、その小さいけど確かな幸せを感じて独り涙ぐむシーンは、グッとくるものがある。

 

個人的な経験でも、バーベキューを毎月一緒にやる友達がいることが、自分にどんだけ幸せと自信をくれてるんだろうかと改めて思う。同時に、そのバーベキューを一緒にやってる友達も同じことを感じてるだろうと思う。

映画に話を戻すと「聲の形」では当然、恋愛もからんでくる。からんできて、恋愛も重要だけど、人間関係の中の一つの在り方という扱いなのが一味違う。そのあたりの距離感がすごくいい。

一つだけ残念があるとすれば、全部をいっぺんに映画に詰めようとしてしまったこと。原作を読みたい。

 

映画『聲の形』DVD

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