「小澤征爾さんと、音楽について話をする」小澤征爾さん、村上春樹さん対談
・・・この本はよく分からないのに面白い
クラシックの演奏が「なまもの」であり、演奏する時代によって、演奏するメンバーによって、指揮する人間によって、その曲の扱われた方の変遷によって、『同じ曲』の演奏が全然変わってくることが、まず分かってくる
演奏する側の小澤さんがそれを肌身で知っているのは分かるが、コンサートやレコードを聴くことで、村上さんが受け手側としてその深い理解に到達していることに驚く
・・・というか、「クラシックの理解」というものを初めて知った
* * *
村上さんは小説を書くことと、クラシックの理解が似ているという
まず表現したい主題があって、それをある種の文法に則り、時間(ページ)が進む中で、少しずつ実現されていく
たとえば、マーラーはそれまでの作曲家たちと違う文法を用いたからか、1960年代まではあまり演奏されなかったそうだ
違いとうのは(僕の理解でいうなら)、多くのクラシックは各楽器パートは、全体を統一するテーマに同じ方向を向いて協力するタイプの演奏になっている
しかしマーラーの曲は、それぞれの楽器が、それぞれ独自の方向性の演奏を同時に行い、各々の楽器のパートを聴いてても分からないが、全体になって合わさった時に1つのテーマが現れてくるという
* * *
・・・なるほど、そういう風に小説の構造を理解するんだと、ひとりごつ
ここから個人的な理解の話だが、なんとなくクラシックの理解も小説の理解も、「プログラミングで何かソフトやアプリを作る感覚」に似ていると思う
プログラミングもやはり時間と共にある構造物で、プログラムは時間と共に進んでいき、最初の方でおこなっておくべき定義があり、メインのループがあり、その中で各々のパートで処理する部分があり、少しずつ値を変えてループが繰り返され、目的を達するとプログラムが終了する
・・・なんかクラシックの演奏の定義みたいじゃないですか?(笑)
他人が書いたプログラム(音楽でいうスコア)は、読みにくいし、伏線を読み間違えるとプログラミンが破綻するし、全貌と各パートが実現すべきことや、進行パータンを理解しないといけない
・・・ほんと似てる!!
・・・というか、プログラムとクラシックのスコアって、同源なんじゃなかろうか??
* * *
逆にというか、プログラミングは理解できるけど、自分一人だと、どこから作ったらいいのか分からないという人は、指揮者なみにクラシックのスコアを読み込むか、村上春樹さんの小説の構造を読んだらいいんじゃないでしょうか?(適当)
ちなみに、文庫より単行本の厚みがオススメです