ココロミにきみ

本と体とプログラミング

本 そのうちなんとかなるだろう

「そのうちなんとかなるだろう」内田樹さん著

著者による半生記

嫌いなものは絶対やらない幼少時代から高校中退、大学生活とアーバン、助手時代から神戸女学院、凱風館設立の今までのブログの話に加筆(だと思う)

* * *

一番疑問だったのは、なんでこんな頭のいい人が、大学の教員に32校連続で落ち続けたのだろう?ということ

そして物書きとしても「下流志向(2007)」や「村上春樹にご用心(2007)」も流行ったけど、一般的には「日本辺境論(2009」まで(50代後半まで)あまり知られてなかったであろうことの不思議

考えて思い至ったのは、独創的だからこそ理解されるのに時間がかかるのだろうと

もっと言うなら、独創的な人は、社会との橋渡しをする人に出会わなければならない

そのうちなんとかなるだろう

そのうちなんとかなるだろう

 

たとえば、下流志向では

「学ばない・働かないことが、消費者としての自分の頭の良さを一番発揮できる」

という著者のアイデアがある

それを言い換えると

 「消費者としての評価 = GETしたもの/自分が支払ったもの」

という行動原理が無意識にまで染み込んでおり、

・GETしたもの = 単位や学位、生活できること

・自分が払ったもの = 勉強・労働時間 → ほぼ0(学ばない・働かない)

とすると、

 消費者としての評価 =( 単位や学位、生活/ほぼ0) →  無限大に!

のように、著者が見えないところに補助線を一本引くだけで、「なるほど!だから勉強しない、働かないを選ぶ合理性が、彼らの主観的にはあるんだ!」と気付かされる

個人的にはこの本を読んで、これは自分のことか?と痛い思いをしたのを思い出す

* * *

著者の論文自体の価値はわからないけれど、著者の発想なら、誰もが手をつけてない分野から新しい知見を呼び起こすことが自分の使命だと思ったに違いない

残念だったのは、教員面接をした人たちが、そういう業界内評価のない独創的な新人を、「自分の責任」において評価しなかったということ

* * *

転機は、独創的である著者と、既存の社会との間に立つ人が現れたことにある

大学教員としては、歴史学者清水忠重さんという方が面接官として、自分の責任において著者の論文を評価したこと(教員として採用)

本は日本辺境論でいうなら足立真穂さんという編集者が現れて、著者のアイデアを誰もが分かる形に取捨選択したり並べ替えたこと(ベストセラーになる)

つまりは、

 異端の人 →  社会との橋渡しをする人 → 既存の社会の歓迎

という経路ができたことで、著者はその力を大いに発揮できるようになったんだろう

* * *

当然だけど、著者はそんな存在を見越して行動してたわけでは全くない

日々、自分と周りを楽しくする生活を送ってきたら、たまたま社会との通訳者みたいな人に出会えて、今につながっていると

「そのうちなんとかなるだろう」ぐらいのぼんやりとした希望と、快適に生きていくための日々の行動原理の1つの実践例として、著者の人生をあらましを書いた、そういう本