ココロミにきみ

本と体とプログラミング

本 不死身の特攻兵

「不死身の特攻兵」鴻上尚史さん著

 9回出撃して9回生き残った、陸軍第一回特攻兵の佐々木友次さんのお話

戦争の理不尽さはいうまでもないが、この本を読んでため息が一番出るのは、この戦時の考え方と今の日本の考え方に、さほど違いがあるように思えないこと

特攻兵がどれだけ非合理的な作戦だったのかは、この本にいくらでも書いてある

たとえば、爆弾を投下したほうが、特攻兵として飛行機ごと突っ込むよりもスピードが出るので、艦船の内部に爆弾が潜り込んで相手にダメージを与える確率が高いのに、特攻を選んだという事実からしても

それでも特攻兵を継続した理由を考えるのは、おそらく同じ考え方が残っている今の日本で生きる上でも重要になってくると思う

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佐々木さんの経験をなんと捉えていいのか全くわからないなかで、1つでも得ようとするなら、日本における非合理な命令は、成果だけあげて「非合理的な命令は1回目に無視すること」が肝心なのかと思った

つまり、佐々木さんは「爆弾とともに体当たりして死んでこい」という命令に対し、敵艦を爆撃して成果をだし、生きて帰ってきた

命令無視だから軍法会議ですぐ死刑ということもあるんだろうけど、成果を出したからなのか佐々木さんは殺されなかった(撤退する際に日本軍から銃殺命令が出たが)

実際その後、佐々木さんは何度も特攻を命じられて、成果をあげたこともあるが、あとは自己判断で出撃を取りやめたり、仲間の助けで無事だったりと

その辺りは、アウシュヴィッツを生き延びたヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」でのあり様に少し似ているかもしれない

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話は変わるけれど、一般に私たちが持つ「特攻兵」のイメージは、戦時中の新聞と、戦後に出されたベストセラー「神風特別攻撃隊 (1967年)」によるものが大きいことを知っておいがほうがいいと思う

「神風特別攻撃隊」は特攻を命じた側の人間による本であり、特攻を命じられて実際に死んだ側の本ではなく、ゆえに私たちのイメージもいつの間にか特攻を命じた側の人間のマインドになっているということ

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特攻を命じた側の司令官は、戦後生き延びて80歳になるまで、自分が命令をだした部下たちに恨まれて返り討ちにされるんじゃないかと怯えて、ずっと銃を内緒で手放さなかったという

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全くすっきりしない感想なのだけど、今生きている自分がどういう理不尽さに生きているのかは分かりにくいので、違う時代の話を通じて考えるというのは1つの方法なのかと思う