ココロミにきみ

本と体とプログラミング

本 目の見えない人は世界をどう見ているのか

この本を読むまで、「目の見えない人は視覚情報の欠落分を、他の感覚を使って埋めて世界観を作る」という視覚優先のイメージを自分が持っていたことを知った。

・・・それは間違いだった。そうではなく目の見えない人は、「聴覚や触覚を中心とする感覚によって構成される全く別の世界観」を作っていた。

それは例えば、母国語を日本語とする人と、英語とする人では単に別の道具(=言語)の特性を使って、それぞれに世界観を作っているのと同じことだった。さらに比喩を続けるなら、英語話者が世界でパワーを持っていたら、「日本語話者=英語を話せない欠落能力者」という感覚になりうるということ。

目の見えない人は世界をどう見ているのか (光文社新書)
 

この本では筆者は目の見えない人(その程度は人により異なる)にインタビューしたり、いろいろなワークショップなどで経験したことから、上述の環世界の違いの発見の過程や、それぞれの環世界をつなげる言葉を探して、実例をもとに教えてくれる。

本前半の、目の見えない人がどういう環世界を持っているか?を紐解いていく話も面白いのだけど、本の後半に「ソーシャル・ビュー(social view)」という活動が興味を引いた。

それは、美術館で目の見える人と見えない人が絵を前にして、それぞれに自分にとってのその絵のもたらす印象や意味を語りあうというもの。まずは先に目の見える人が語るんだけど、「情報としての絵」ではなく、それぞれの人が感じる「意味としての絵」を言葉にするうちに、目の見える、見えないことによる違いより、それぞれの持つ環世界の違いのほうが見えて来るというもの。

この活動は「目の見えない人」の特性を生かしたもので、その方向性が多覚社会となっていることに未来を感じた。

気づいたら、この本自体がソーシャル・ビューを体現している本だった。