molingitのブログ

本の感想と体の感覚

本 吹上奇譚

今週のお題「私の癒やし」

「吹上奇譚」吉本ばななさん著。

著者曰く「私がSF書くなんて世も末だ」と。でも実際は全然SFであることすら意識しなかった。ばななさんの小説はある時から、そーゆーのもありだよね」って思える人(思わないと生きていけない人)が対象だから、違和感ないんじゃないかな。

主人公ミミの、双子の妹のこだちがいなくなって、ミミが探しに行くというのが前半で、いささか村上春樹的な始まりだなと感じたけど展開はもちろん全然違った。

吹上奇譚 第一話 ミミとこだち

吹上奇譚 第一話 ミミとこだち

 

 個人的に人間関係で辛い時に読んだから「主人公のミミが心を開く」というプロセスが大事だった。ミミは心を開くことで他人の暖かさに気付けたり、誰かの小さなプレゼントに出会えるようになる。そして人に出会えるようになり、一つ一つがミミの力になり物語が動いていく。

心を開くって、実際どういうことよ?って毎回考えては忘れてまた探してたんだけど、「自分が変化することを自分に許すこと」だったっていうのを思い出した。個人的にこの小説と道端の花と、友達の愛情で再び心を開くことができて感謝している。

* *  * * 

あとがきで、著者がもう今はSFじゃないと読者の心に届かないという趣旨のことを言っていた。だからこそのSFという選択肢なんだろうけど。

現実に多くのことが起こりすぎて、中途半端な設定では現実とどっかでかぶって心の鎧が取れないから「いったん今からウソの世界に連れていきますからねー!」ってやったほうが、読者がウソを意識するぶんだけ小説に心を開きやすいんだろうな。

 * * *

吉本ばななさんの描く世界の人たちのような優しい人たちは現実にいる。もしかしたら、”一般的にいる” のではなくて、”関係性の中にしかいない” のかもしれない。少しずつ時間をかけて手間をかけて、愛情を惜しまず与え続けたら出会えるたぐいの人かもしれない。

本 Swift基本文法と応用

本 「プロを目指すSwift基本文法と応用」

プロを目指す Swift 基本文法と応用

プロを目指す Swift 基本文法と応用

 

 iPhoneのアプリを作ろうとSwiftの本を何冊か読んでいる。この本は知識に優先順位をつけていて、不要なとこをざっくり飛ばしてるので読みやすい。

それでもこの本に限らずSwift初めての人が(少しだけ)つまづくのが、Storyboardのパーツとプログラムを結びつけるところじゃないかと思う。

きちんとつまづいたたので、共有。(この本のサンプルプログラムだけど)

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(⓪既にStoryboardに「テキストフィールド」と「ラベル」が配置済み)

①2画面表示にする

②「テキストフィールド」を選んで、ctrlキーを押しながらドラッグ して、class ViewControllerに持っていく(青い線が表示される)

③ @IBOutlet weak var ...input/outoput..がclass の中に 追加されれば成功(同じ記述が2つになるので一つ削除する)

④ その後現れるボックスのNameに「InputText」と入れる

⑤ labelの「result」も②~④を同様に行い、④のNameに 「OutputText」と入れればOK

余談だが、iPhoneのアプリ製作は、画面が中心なんだというのが意外というかなるほどだった。もちろんプログラミングだけで作り上げる生粋のプログラマーも多いんだろうけど。
画面同士の遷移をビジュアルに紐付けしたりする感じは、filemakerに似ている。パーツとプログラミングの紐付けの感じはExcelVBAや、今や滅亡しつつあるFLASHの造りがそうだった。

個人的にはそういうアナログとデジタルの間に位置するプログラムが好きだ。ってか、結果としてそういうのばかり選んでいることに気づいた。Pythonのlot対応しかり。

 * * *

近い将来、AIがプログラミングのややこしい部分を引き受けてくれて、人間は画面遷移の指示や、インターフェイス部分の設計だけする形になっていくんじゃないだろうか。

さらに将来はプログラミングの概念自体が全部AIに含まれてしまって、人間は欲望するだけでよくなるんだろうけど。

プログラマーというのも20世紀終わりから21世紀の前半のみに存在した、一過性の職業だったと記録に残るんだろうか・・・。

本 アジア辺境論

「アジア辺境論」内田樹さん、姜尚中さんの対談。

たとえば隣の家の人と仲が悪いとか、同僚で嫌いな人がいるとかよくある。隣の落ち葉が自分の庭に入ってきたとか、挨拶してこないとか。いったん嫌いなったあとは、その感情の維持が大事になって、理由を後付けで探してきたりする。

それが他人だと、そんなことで機嫌悪くしててもしょうがないでしょ?って思ったり言ったりするけど、自分が当事者だと仲良くするの絶対無理っとか思うわけで。

視点を変えて、自分が地域おこしのメンバーや、会社全体の利益を考える人だったら、「仲が悪い隣人同士や、嫌い合う同僚同士がいること」をどうしたいか。

地域として、会社としてパフォーマンスを上げたいなら、反目しあうことにエネルギーを無駄に使ってマイナス状態にさえなってるのをナントカしたいんじゃないか?

それが国単位でも。それがこの本になる。

ここらはスピンオフ的に考えたこと。

「誰かを嫌いでいること」は、自分個人のパフォーマンスも2つ大きく下げることに気づいた。

一つは、他に使うべきだったエネルギーが「嫌いでいること」無駄に使われているということ。有限のエネルギーをそんなことに使う暇あるのか自分!?

一つは、「嫌いでいること」というのは「自分の心の一部を固定」してしまい、生産性を下げたり、成長を邪魔しているということ。たとえば怪我(=固定)してる時って、そこを庇う無駄な動きになってたり、気が散って集中力が減るのと同じで。

・・・そう考えると「嫌いでいること」は自分個人にも、自分を含む社会にとっても何もいいことはないなと思う。

*  *  *  *  * 

ただ、そんな簡単なことみんな実感として知ってるのに、なぜ「嫌い続けるか」って言ったら、そのほうが「その瞬間は楽」なんだよね。

本 人生の旅をゆく

「人生の旅をゆく」吉本ばななさん著。

ばななさんのエッセイはうまい。その世界観の受け止め方はそれぞれだと思うけど、2〜3ページのエッセイで、その世界にトリップさせる技術はなんなんだろう。

個人的にはその、この世とあの世があわいで繋がっているような世界観にも共感している。そこら辺が合わない人でも、ちゃんと人と人が向き合うことができたときの幸せを信じられるかどうか、というのが共感の分かれ目なのかもしれない。

ばななさんのメッセージって、突き詰めると「その場その時に真剣に生き切ること」に集約されるんじゃないかと。

その実践がばななさんの人生であり、そうやって生きている人には、同じように生き切っている人たちが関わってくる。その姿がとてもうらやましい。それを切り取った本がこれ。 

人生の旅をゆく 3

人生の旅をゆく 3

 

 話はずれるけど、小説のばななさんの話では、いつも「生き方にはもっと選択肢がある」と教えてもらっている気がする。それを選んでもいいし、選ばなくてもいい。ただ、知らないうちに少しずつ、その生き方が入ってきているかもしれない。

さらに話がずれると、村上春樹さんの小説を読むと、泳ぎ方の矯正をされるように、感覚的に生き方を整えられる気がする。この距離感の違いも面白い。

* * * * 

自分の人生の指針となる人が同時代に生きて考えて、それをリアルタイムで追っていけることは幸せだと思う。

本 TEDトーク

「TEDトーク 世界最高のプレゼン術」

 いや別にTEDに出ないけどさ(出れないけど)。話を聞いてくれる人が一番集中するのは、最初の10〜20秒だと。(そこで心を掴めないと・・・。)そのつかみは引用や他人事じゃなくて自分の経験を語れと。できれば最近、直前に起きたことだとサイコウ。ただし、その話は全体のテーマにつながることが条件。

どんな時も笑わせれたら宝。ただし、それがジョークだったり、面白い話だったとしても、それすら一番いいたいメッセージにつながってないとダメなんだって。

TEDトーク 世界最高のプレゼン術

TEDトーク 世界最高のプレゼン術

 

つまりは、舞台上で起こることのすべては、「一つのメッセージ」を伝えるために存在するって考える。おそらく自分ですらその目的のためのシモベ。

話の中のヒーローはそのメッセージに関わる、自分を変えてくれた”誰か”に譲る。 その偉大な他人がヒーローになることで、”誰にでも起こりうる身近な話”になる。ヒーローではない自分は失敗する。その失敗をいっぱい語ることで、うんうんと頷いてもらえる。

 その共感は気持ちだけじゃなくて五感まで広がるように、ストーリーをいろいろな感覚から語る。さらに主体的に聴くことに参加してもらうためには、一緒に考えてもらわないといけない。

だから最初に「なぜそのアイデアが必要のなのか・大事なのか?」を語る。その前提を共有してもらって、同じ視点で世の中を見て初めて、何をするか・したかの具体を語る。この順番。

*  *   *  *   *  *   * * 

自分にとって自明のメッセージを語る方法論として一つの最高峰だと思う。これはこれとして身に付けたい。

同時に、方法論になるかどうかわからないけど、その時その場にきちんと存在することによってのみ起こりうる、その場で産まれる(かもしれない)考えやアイデアの生成を語っていく、という手法は形にならないんだろうか。

 

数字・文字の存在場所判別>AI前処理

AIで答案の自動採点にトライする過程で、それが人間の「認識」のあり方を考え直すことになり面白いので、思考過程とともに残しておく。

 * * *

以前、まだ赤ちゃんレベルの”AI”が食べやすいように、画像データ(食べ物)をちょうどいいサイズに切り取ってAIのお口に持っていく作業をしている、という話をした。

(手書き数字認識の機械学習を通じて学んだこと)

今度は、そのさらに一つ手前の処理が問題になり、解決策が1つできて、課題が1つできたのでそのロジックを記す。

【自動採点プロセス】

  1. テストの解答済用紙を多量にスキャン(スキャナーが活躍!)
  2. 解答画像から答えが書かれてる場所を探し出して正方形に切り取る(今回の話)
  3. 正方形画像内の無駄な余白を切り取って、読みやすくする(前回のお話)
  4. AIが正方形画像を見て「この解答は99%の確率で”3”っ!」と当ててもらう
  5. AIによる解答の認識結果と、正解を照らし合せて点数を出す(エクセルなど)

のうち、2が今回のお話。

 * * *

たとえば解答欄はたいてい横長で、そこに数字や文字を書いたときに、ノイズも含めて解答欄のどこに答えが書かれているか?の判別は意外に難しい。プログラムで処理を行う以上、プログラムでその方法論が書けなければいけない。

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実際はこれを以下のように行列の形にして扱う。

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いろいろ手段はあると思うんだけど、結論から言うと「重さ」と「中央値」のセットで行う。行列にする際、画像の白い部分を0、字やノイズを1とすると、なにかしら線がある部分は数字が入り、”重さ”があると言える。その重さがある列の番号を記録しておき、その番号セットの中央値付近に数字や文字の重心があるだろうと。

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その重心から適当な距離で正方形に区切ったら、数字や文字のみを含む画像ができる。この方法のいいところはノイズが大きくなり過ぎない限り、ノイズの存在を全く無視して数字や文字だけを捉えられること。(って、やってきてけど、重み重心を取ったほうがいいような気がしてきた・・・)

* * *

話はとんで、これって人間が数字や文字を認識しているプロセスかと。いくつかの文字らしきもの(含む:ノイズ)の集まりを見て、まず、大きな母集団を持つ ” 線の塊 ”  の1つに注目する(重みの中央値を探す)。そして、その重みの中央値からちょっと半径を広げた円に視界を広げて、そこに映る画像を切り取り、数字や文字として変換される。

ってことを考えていたら、自分は一つの文字のなかで、中心より若干左に重心を感じているらしいことが分かった。おそらく自分が書く字は重心が少し左寄りになっているんだろうと思う。逆に字のバランスのいい人は一文字のなかで感じる重心の位置が違うのかもしれない。とすると、字の指導は重心の位置感覚の指導から始めるべきことかもしれない。

* * *

話を数字・文字認識に戻すと、当然解答は一文字であるこのほうが珍しくて、2文字以上が当たり前なわけで、二つ以上重心があるやつはどうすんじゃ!?と考えたら、すでに「クラスタリング」という複数の重心を弾き出す機械学習(≒AI)の手法がある。

ってか、一文字でもこれ使えるじゃん・・・。

 

本 考えの整頓

「考えの整頓」佐藤雅彦さん著

 この本を読んで気づいたのは、自分はアーティストの言葉や振る舞いにしか興味がない、ということだった。

著者の定義によるとアートとは「なぜ生きるか?」ということ自体から考えることで、比較してデザインとは「よりよく生きるための方法」を考えることだと。

この本は雑誌「暮しの手帖」に連載されていたものをまとめたもので、佐藤さんも最初は生活の役に立つ連載にしようと考えていたのだけど、結局そうはならなかった。

考えの整頓

考えの整頓

 

たとえば幼児が言葉を覚えるプロセスを観察していて、

それにしても、幼児はほとんどと言っていい位、2回繰り返して、覚えたての言葉を発するのだが、どうしてだろうか。(本文より)

というような話を書いている。 ・・・暮らしの役には立たない(笑)でも、言われてみるとたしかに2回ずつ発音しているイメージがある。勝手な推測だが、1回目の言葉は発音という運動機能への挑戦であり主体的な意識であり、2回目の言葉は主に聴覚機能への挑戦であり受動的な意識なんじゃないかと。与えるのが先で、もらうのは後。何かにつながりそうなんだが・・・。

閑話休題

佐藤さんはこんな感じで自分の気づいたことを、心の動きまで書いて解きほぐしていく。その作法自体がまさにアートで、その作法を学ぶこと自体が生活を豊かにしてくれると言っていいんじゃないかと。