molingitのブログ

本の感想と体の感覚

本 農ガール、農ライフ

 「農ガール、農ライフ」垣谷美雨さん著

この小説によると、ツテのない人が脱サラして農業を始めるときに、最初にして最大の壁にぶち当たるそうですが、それはなんでしょう?

  答えは「誰も農地を貸してくれない」ことです。

それ以外にも農業を営むには、ほんとにたくさんの壁や問題があることが、一人の女性が農業を選択して生きていく様を描くコトで伝わって来る。

この本は、中途半端な気持ちで農業を始めたい人を、早めに挫折させる優しさの本であり、農業で生きていく覚悟が決まっている人により知恵を授けてくれる本でもある。

農ガール、農ライフ

農ガール、農ライフ

 

農業を新しくやりたいなら、真面目でたゆまぬ努力で作物を育てることと、どうやって売るかのアイデアを出すことなんて当たり前で、プラスして自分ができないことをやってくれる協力者を見つけていく能力か運もないと難しいなと正直思った。

で、そういうことが全部できるのって、女じゃない?って男の自分は思う。自給自足できない国はどこかで滅ぶだろうから、農ライフ、つまりは国ライフを救うのは、女であるって勝手に思ったりして。

本 人間と機械のあいだ 心はどこにあるのか

 「人間と機械のあいだ 心はどこにあるのか」池上高志さん・石黒浩さん著

人工生命を作ろうとしている人のお茶話に立ち会うようで面白かった。いずれ無機物による生命体に移行するのが当たり前のように話している。人間の立場を超えて生命体学者のような存在というか。

その二人が機械人間オルタ(「altenative:もう一つの」から来てるんだろう)を共同で作って実験しながらの対談とコメントをまとめた本。

 
新作アンドロイド「機械人間オルタ」

AIは生命の理解に使う、という発想が面白かった。二人の考えでは、生命を理解するには現在の手持ちの道具だけでは無理で、相対論と量子論を結ぶスピノールのような新たな変数を持ち込まないと理解できないのではないかという。(スピノールは個人的によく分からない話なのだが、難しい問題に補助線(=新しい変数)を引くことで理解できることがある、という発想はわかる)

その変数を見出すのにAIを使うという話なんだろう。ただし、現在の科学は ” 意識 ” ベースであり、生命を理解するには無意識で行っていることまでをも含む必要があるとも言っている。AIの「教師なし学習」には無意識も当然含まれているんだろうけど、コントロールできるわけじゃないし、意識部分との分離もどうやるか分からんよな。

なんにせよ、現在の僕たちが普段使っている ” 理解 ” の手法を拡張するというのは面白いと思う。たとえば、無意識による ” 理解 ” というのも当然あって、さらに武道でいう ” 体による理解 ” というのもあり、ほかにも生物ごとの " 理解 " の仕方もあるだろうなと思う。そういう、違う次元の理解の仕方をまずは手に入れて、また、お互いを比較したり、融合させたりして探っていくのだろう。

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生命を理解するのに、何か新しい変数が必要なことがAIで分かるとして、その変数自体の理解は人間はできるようになるんだろうか?

人間と機械のあいだ 心はどこにあるのか

人間と機械のあいだ 心はどこにあるのか

 

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また、生命が物質の相互作用の何段階か上のレベルに生まれてくる作用(機能?)だと考えるなら、それは生命を構成する物質がなんであるかとは関係ないコトだと言える。

だから ” 何か ” を最下層のレイヤーにおけば(エネルギーでもいい)、その複雑さがいくらかのレベルになる上層には、ある種の生命が生まれてもおかしくはない、という生命観の拡張は新鮮だった。

目の前にあるもの(=生命)を理解するために、それを含むより大きなもの(人工生命+自然生命)を考えて、その一部として目の前のものが存在する、というアプローチはなるほどなと。

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そうやって考えていると、人間が持っている感覚以外にもいくつも感覚ってあったっていいと思えてくるし、理解とか考えるとか感じる以外の知的活動もありそうだし、そもそも名前もつけられない活動があるのかもしれない。

また、例えば生命と非生命という発想で分けているけど、第3の分け方もあるかもしれない。さらには、生命や非生命とは違った別の存在の仕方もあるかもしれない。

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そんな普段考えたこともなかった、発想の端っこを広げてくれただけでも、すごい本だった。

本 四月になれば彼女は

 「四月になれば彼女は」川村元気さん著

これも「ノルウェイの森」へのオマージュなんだろうか。「僕たちはみんな大人になれなかった」も含めて、”大人になれない男たち”シリーズは個人的にとっても”来る”。

どうしてその時、言葉を惜しまず気持ちを届けようとしなかったんだろう、どうしてカッコ悪くても追いかけなかったんだろうと。

今までの関係が最高だったから、一旦壊れてもそれと ” 同じ ” に戻さないといけない、全く同じに戻せないくらいならゼロになったほうがいい!って過去の自分は思っていた。

でもまぁ、ちゃんと ” 説明 ” したところで、追いかけたところで、一度壊れてしまったものはたいていダメになるんだろうけど。そう思いつつ、関係が ” 新しい別の形の何か ” になっても良かったんじゃないか?って今は思う。ゼロよりかは。

四月になれば彼女は

四月になれば彼女は

 

小説に出て来る、見えないものを写そうとするハルのような女の子と、話すようになった。全然プライベートを知らないし、あと2週間、3月になったらもう顔を会わすこともなくなる。この小説を読んでる最中はずっと、ハルはその子だった。ちょっと眠たそうでどこか遠くを見ていて、不器用で真面目で、目をしっかり見て話す。

目の前にいるのに、その子は過去の輝かしい時代のハルのように感じられた。自分が過去にタイムスリップして、ひとときだけ一緒の空間にいるかのように。

そう考えてみれば、自分の過去だってもう過去になってしまったものは、一つの小説だと思っていいのかもしれない。それを読まなければ、思い出さなければ、今の自分には関係ない。

逆に好きな小説を自分の過去にしてもいいのかもしれない。というか、そうなっちゃってる人がいても不思議ない。ってかいるんだろう。

僕には ” ハル ” がいた。そう思って生きていく

本 遺言。

 「遺言。」養老孟司さん著

メンデルの法則の何がすごいのかと。優性・劣性遺伝を綺麗にまとめて(A・aで表現して)、誰でも分かるようにしたと。まぁ発見した人だからすごいんだろうと思ってたけど、養老さんはそこがポイントではないという。

19世紀に生物の形質を「記号化(情報化)」した最初の人ということなんだと。そこからは、生物学ではなくて「情報学」になったんだと。逆に考えるとそれまで誰も、生物の形質を記号化して考えたことがなかったんだ。全ては単なる”違い”として認識していたと。

そして一度 ” 情報 ” に置き換えられた身体は当然、別の " 情報 "(身体)で置き換えられるという発想に繋がるわけで。臓器移植の始まりはメンデルにあったと言っていいのかもしれない。

遺言。 (新潮新書)

遺言。 (新潮新書)

 

その " 情報 " を扱うためには、 ” 同じ ” を理解することが必要で、それは意識の働きになる。話の順番としては逆で、” 同じ ” を追及していくと都市文明ができ、一神教ができ、コンピューターが出来てくる。

”  同じ ”と双璧をなすのが感覚による ” 違い ” なんだけど、都市は感覚を感じることを極力制限していて、オフィスや家の中の環境を常に一定にしようとする。部屋の温度も床の平さも一定。

さらに人間が意味を見出さないもの、管理できないものはその場から排除される。屋内に虫が入ってくると大騒ぎするのは、虫が嫌いというよりは、意識の " 同じ " を壊されることに対する過剰反応なのかもしれない。

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この話は少子化にも繋がる。なぜ少子化になっているかに対して、子どもを育てる環境になっていない、年収が足りないなど以外に根本的な理由があると。

それは、子どもという ” 予測不可能ないきもの( = 自然) ” に対峙することを、都市の人間が苦手とするようになってしまったからだと養老さんは言う。すごく納得する。だから田舎や特に離島で出生率が高いのは、自然に接することを当然として、感覚による”違い”を普通に受け入れて生きるのに慣れているからだろう。

 ちょうどドラマで「隣の家は青くみえる」をやってて、人工授精の話が出てくるんだけど、治療の一つに田舎暮らしや、野生に戻るようなものがあってもいいんじゃないか?

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養老さんの考え方が大好きで、もっと理解したい、実践したいと思いつつ、それに染まれば染まるほど、会社の同僚と距離が離れ、 会社の環境自体に耐えられなくなる問題。その ” 違い ” を ” 同じ ” が好きな人たちは理解してくれない。

本 僕たちはみんな大人になれなかった

 「僕たちはみんな大人になれなかった」燃え殼さん著

(読んで思いついたことだけを書く)やるせなさの感じを思い出した。夜がながくて、むやみに友達とあてもなく過ごしたり、なりゆきで屋上でデートしたりしてた頃。人との距離感が今よりずっと近くて、ふとした拍子で関係が変わってしまったり。

近くにいて、なんだか親しいような気がしてたのに、みんなそれぞれの時間を生きていて、ある時突然(と僕は感じた)違う線路にそれぞれ乗っていて、たまさか近くなっていただけのことに気づく。

ボクたちはみんな大人になれなかった

ボクたちはみんな大人になれなかった

 

個人的な話だがそういう大事なものをなくしてしまったのに、なくしたことすらずっと気づかないでいた。 2年前に屋久島に行ったときにユースホステルに泊まったら、この小説のような”あの頃”の感じがそこにはあった。夜がながくて、初めての顔ぶれなのになんだか親しくて。

この感じが僕は欲しかったんだ!って気づいたのに、旅から帰ったら全然それをどこに求めていいのか分からないまま、いつしかその欲求すら忘れていた。その残り香がほしくて、僕は教育機関に勤めていたんだろうか。そしてそれが当たり前だけど得られないことに気づいて、落ち込んだんだろうか。個人的な話だが。

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主人公は思い出の人に、記憶のなかでちゃんとさよならが言えた。大人にはなれなくても、ちゃんと前に向かって歩き始めた。

僕は桜木町駅の改札に消えた人に、まだ、さよならが言えていない。

本 座りすぎが寿命を縮める

 「座りすぎが寿命を縮める」岡浩一郎さん著

座り続けることが健康に悪いことは前から知っていたが、より具体的に知った。

・30分以上連続して座ることは健康によくない

・他に運動しようが、座りすぎの影響は打ち消せない

・連続して座っているとパフォーマンスが下がる

「座りすぎ」が寿命を縮める

「座りすぎ」が寿命を縮める

 

あとは本で詳しく読んでもらえばと思うので、ここからは個人的なことを書く。

ヨガをしたり自分の体に対して繊細に感じられるようになるにつれて、仕事場でずっとパソコンの前にずっと座ることが苦痛になっていた。自覚できるほどフラフラ歩き回ってるなーと自分でも思っていた(他人からはきっとなおさら!)。思えばそれは体からの防御反応だったのかもしれない。

しかしこれ、一度自分の体の声に従って体が気持ちいいように動くことを覚えてしまった今、もうずっと座る仕事は無理なんだけど、大丈夫かな自分の人生・・・?

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家での仕事用椅子も、なんとなく動き回れるほうがいいなと、お医者さんが使うような丸椅子に替えた。この椅子だと長く連続して座る気にならないのが体のためにはいい。その分、集中が続かない問題はあるが・・・。(座った時の感触として、思ったより丸椅子の部分が広い。プラスチック感はあまり気にならない。動かすときの軽さと座ったときの動かなさのバランスがいい。)

この説に従えば、多動障害の意味も変わってくるのかもしれない。落ち着きがないというより体の声に素直に従ったら、授業中にずっと座ってられないと。

逆に授業中(仕事中)にずっと座ってられるのは、悪い意味で社会化されたことによって、体の声を無視して、” 意識 ” に座らされているのが本当のところかもしれない。

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そういえば5年くらい前に一度、スタンディングの勉強やパソコン法を試したが、引越しを機に辞めてしまったことを思い出した。著者も言っているが、家はともかく職場でスタンディングで仕事するのは、周りの目という障害があると。

職場はさておき、家用にはこれに足場として、マルミツの心のバランスボードで最高の組み合わせじゃないかと。

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本によると著者はアップル・ウオッチを使って、50分ごとに動くことを促すアラームがなるようにセットしているらしい。ここまではまだ手が出せないな。

最後に蛇足で付け加えるならば、”座る”ということ自体が変われば、もしかしたら長時間もOKかもしれない。自分の座禅の師匠である住職が「普通の人は”座る”が出来ないんです」と。「身も心も全部放ち、体に全て任せて”座る”ことが「座禅」なのです」と言っている。

その「座る」は体を殺さず、動いていることの一形態としての”座る”が存在しているから。まぁそれはそれ。

 

本 学ぶ心に火をともす8つの教え

 「学ぶ心に火をともす8つの教え」武内彰さん著

学校のあり方の一つの例を書いた本だけど、教育機関に限らず使えると思う。

たとえば、日比谷高校ではどの先生の授業も他の先生が見学に行っていいという。授業技術を共有化してチームとして蓄積していき、(先生の能力差による)生徒の不公平感を減らすためだという。

問題はいやがる先生にどうやって協力してもらうかだろう。その時に「共通の判断基準(その集団の目標や理想)」があれば協力を得られやすいし、「相互に見学を受け入れるのが当たり前の文化」を育てていくスタンスが大事なんだろう。

学ぶ心に火をともす8つの教え 東大合格者数公立No.1!! 日比谷高校メソッド

学ぶ心に火をともす8つの教え 東大合格者数公立No.1!! 日比谷高校メソッド

 

 また、生徒に自分自身を把握してもらうための面談を年4回やっていると。

現在の苦手科目は何で、どう伸ばしていくか、目標をどこに設定するか、学習の障害になっていることは何かなどを、教員と話してデータベース化していく。

そのデータベースがあることで、生徒は自分が3年間というプロセスのなかのどういう位置付けにいるか、どう成長してきたかなどを確認できるようになる。

さらにその情報は担任以外にも他教科の先生も把握でき、どの先生でもその生徒の相談に乗ることができるようになる(どの先生に相談しても良いと校長先生が宣言している)。

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これ以外にもたくさんの取り組みがあるのだけど、生徒の大学合格がゴールになっていないことは大事なことだと思う。高校生という時間を全方向に使い切って、それが生徒の個人として、集団としての成長につながり、結果合格もしていく。

そうやって伸びていく生徒の可能性を、校長先生自らが信じきるからできる学校のあり方だと思う。

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このあり方を一つでも実践していきたい。