molingitのブログ

本の感想と体の感覚

本 街場の天皇論

「街場の天皇論」内田樹さん著

この本で初めて腑に落ちたことがある。

なぜリベラル・左翼・知識人が力を持たないのか。それは政治的なエネルギーの源泉が「死者たちの国」にあることを知らないから。言い換えると、なにかをするときに「これでは死者たちに顔向けできない」という判断基準で動いていないから。

そして安倍首相は「死者(叔父)に付託された仕事している」自覚がある現在唯一の政治家であると。だからその政策は賛意を得なくても、政治的「力」への評価がされると。

街場の天皇論

街場の天皇論

 

さらには、

現代日本の政治の本質的なバトルは「ある種の死者の付託を背負う首相」と「すべての死者の付託を背負う陛下」の間の「霊的レベル」で展開している。(本文より)

個人的には内田さんの変遷と同じように、昔は宗教的なものは一切不要だと考えていた。しかし大人になるにつれて、合理性だけで人間生きてないよなと実感で思うようになり。そう思うようになったときに、日本人が宗教的な何かの持っていき場ってなんだろう?と思ったら、それが天皇なんだと。

宗教心ではないけれど、合理性以外の「なにかの軸」として天皇陛下が存在してくれていることのありがたさ。その軸がしっかりしているから、それ以外の軸(政治とか)が乱れようと日本人としてなにか平静でいられる。

そんなことを今まで考えもしなかったけど、それが仮想の軸だとしても、それが存在すると信じて生きるほうが個人的に元気が出る気がする。この感覚がおそらく「死者たちの国」に通じてるのだろう。

本 肌断食 スキンケア、やめました

「肌断食」平野卿子さん著。

人は健康を害したときに、自然に立ち直る仕組みを身体が持ってるんだから、肌に限らず余計なことはできるだけしないほうがいいんじゃないか?って思っていた。そしてこの本に出会う。美容業界からはおそらく黙殺されているであろう主張。

「スキンケアは本当に何もしないことが一番肌にいい!」

化粧水、乳液、クリームは一切不要。というより使うと肌が老化する。クレンジングはさらに最悪。水洗いだけでいい。今この話が信じられなくてもいいから、肌ケアの一つの選択肢としてこの本を読む価値はめちゃくちゃあると思う。

最新版 肌断食: スキンケア、やめました

最新版 肌断食: スキンケア、やめました

 

肌にはもともとバリアの機能があって、健康に普通に機能している肌はそもそも外部のもの(クリームとか)を跳ね返してしまう。だから、いわゆる”スキンケア”は、そのバリアをわざわざ界面活性剤で壊して、そこに保湿液を注入して外をポリマーで覆う。 そうすると一見、瑞々しい肌になるが自分自身の肌は界面活性剤で壊され、保湿機能は働かなくなり、老化する。

* * *

個人的には2つのことを前から思っていた。一つは年上の女性が、化粧とか関係ないところの肌はすごく綺麗なのに、顔の肌だけ老けているよなと。

また、海の家とかにいる地元の漁師のおじいちゃん漁師が、小麦色に焼けているのに顔の肌がえらく綺麗で、この人たちはもともと体が強いからそうなのかなと思っていた。

でもこの本を読んで理由がわかった。良かれと思ってやってきたスキンケアが自分の肌をより痛めつけていたんだと。逆にスキンケアを全くしなかったことが、肌に一番良かったんだと。

* * *

著者曰く、スキンケアは基本水洗いだけで、体調がわるいときに肌がカサついたら、日本薬局方の白色ワセリンだけ使えばいいと。純度が高く安全性が高いと。 これすらも、基本的に使わないに越したことはないとも。

【第3類医薬品】日本薬局方 白色ワセリン 50g

【第3類医薬品】日本薬局方 白色ワセリン 50g

 

 そのうち薬についても同じような話が出てくるんじゃないかな?例外は、緊急で、いま飲まないと死んでしまうという類の薬だけ飲んで、あとは基本は毒でしたみたいな。

どのくらい長いタイムスパンで考えてその人の”病気”を観るか、どの臓器や体の機能の範囲まで見た上で”治療する”かって視点が変わるだけで、医療の常識がいろいろ変わりそう。総合診療医って最近はやりの名称自体が、じゃあ今までどうだったのと思いたくなるし。

今後医者でない人が、医療AIを使って従来の医療以外の方法論を編み出せるようにするのが、AIの有意義な使い方の一つだと今思いついた。

本 ひとりぼっちこそが、最強の生存戦略である

「ひとりぼっちこそが、最強の生存戦略である」名越康文さん著。

対人関係のストレスの多くは、実は、現実の相手というよりは、「心の中の他人」によってもたらされるものです。(本文より)

いやーこれ実感。この本を読む直前がまさにそれ。仕事に会社、家族の人間関係で、直接起こった問題はちょっとなのに、そこで生まれた「言葉」が何度もなんども頭のなかで反芻されて、それがめっちゃくちゃ脳内暴風になり、最後は体力まで奪っていた。

ついには身体に症状として現れて、初めて自分が「心の中の他人に」囚われていることに気づいた。それまでは、こんなに心が穏やかで落ち着いてていいんだろうか?という日々を送ってたから自分は大丈夫だと思ってたのに。

SOLO TIME (ソロタイム)「ひとりぼっち」こそが最強の生存戦略である

SOLO TIME (ソロタイム)「ひとりぼっち」こそが最強の生存戦略である

 

 名越さんは、ひとりぼっちの時間を持つことから始めて、頭のなかから他人を追い出すには、瞑想や行(ぎょう)がいいという。一人で自分と向き合う時間をきちんと持つことは、(いまの世の中の考え方では)何も生み出さない無駄な時間と捉えられるけど、実はその一人の時間を持つことが逆に、世の中への自分のパフォーマンスもトータルで上げてしまうという。

おそらく瞑想という技術は、単なるいち技術ではなくて、自分自身のOSを書き換えてしまう、言葉とか字が読めるといったものと同じ、根本的な自己改変の技術なんだろう。だからこそ瞑想は「本気でやらないと効かない」と名越さんは言い切っている。

* * *

いままでなんとなく瞑想でもやってみようかな、って受け止め方をしていたけれど、今回、自分も瞑想が人生に必要だと腹を括った。日常でやってる何かを選んできちんと捨てて、その時間を瞑想に充てようと思う。きちんと師匠も見つけてその空気感をちゃんと受け止めようと思う。

未来の自分が、今日の自分に感謝できるように。

本 日本の覚醒のために

「日本の覚醒のために」内田樹さん講演集。

剣というのは、手を延長した道具ではありません。それを手にすることで心身が調うという装置です。・・・(中略)・・・剣を「依代」として巨大な自然のエネルギーがこの身体の流れ込んでくる。 (文中より)

武術をやったことのない人間としてこの視点は新鮮だった。自分の外部に主を置くことで、自然の力を知覚しやすく、利用しやすくするんだろうか。

勝手に妄想を続けると、この「剣」って、村上春樹さんにとっての「テキスト」ではなかろうかと。テキストという「依代」があることで、自然の力を村上春樹という媒体を通じて出現させることができる。その自然の力を、マラソンや水泳やその他なにかで調えられた村上春樹さんの心身が制御し、テキストという形に納めこむ。おそらく村上春樹さんの文章を書くという行為は、限りなく武術の振る舞いに似ているんじゃないかと思う。

日本の覚醒のために──内田樹講演集 (犀の教室)

日本の覚醒のために──内田樹講演集 (犀の教室)

 

邪悪さや嫉妬や暴力や怠惰、あるいは自己憐憫、自己規律の弱さ、そういったものは、そこを通じて「非人間的なもの」が侵入してくる回路なんです。(文中より)

これは村上春樹さんのリトルピープルなどの話から流れてきたものだが、よく村上春樹さんが言っている、「地下二階の闇は危険なんです。そのまま行って帰って来るのには技術が必要です」はこれなんじゃないかと。

つまり(自然の)闇のなかには善も悪もあって、自分がその通路となる以上は、その善・悪あるいは他のものまで、村上春樹という回路を通じて出現させてしまう可能性がある。だから、一切の邪悪さや嫉妬などを持たないでいられる精神状態を維持して、地下二階の暗闇に降りていく技術が必要ってことなんじゃないだろうか。

もう一つは善なるものを呼び込む技術なんだろうけど、それが何かはわからない。内田さんはわかってるんだろうか?

* * *
話を本に戻すと内田さんが伊丹十三賞をもらったときの講演はとくに面白かった。伊丹十三という人をよく知らなくても、その彼が背負った(と内田さんが看破した)スケールの大きすぎる ” 荷 ” は、そういう問いかけの存在自体が新しかった。

なにかとんでもなく大きな課題を背負うと、それが「依代」なって、自然の力を自分という媒体を通じて出現させることにつながる、とも言えるかもしれない。

本 みみずくは黄昏に飛びたつ

「みみずくは黄昏に飛びたつ」村上春樹さんに川上未映子さんがインタビュー。

村上さんがインタビューを喜んだ珍しい本。

以前から村上さんはストーリーを考えずに書き出すというのは知っていた。村上さんにとってストーリーの現れ方というのは、未知の洞窟を探検している時の吉田勝次(本「洞窟ばか」)さんの表現にとても似ている。その物語(洞窟)がどれくらい広がっているのか(いないのか)は、その物語(洞窟)の前に立った時には全然わからなくて、中を進んでみないと分からない。書いて(進んで)いくうちにあの部分とこの部分が繋がってくるんだ!と分かってくる。

奇しくも村上さんはインタビューのなかで、自分の語り口は古代の ” 洞窟のなかの語り部 " だと話していた。自然の深い闇の中につながるイメージが村上さんのなかにあるのだろう。その闇に入っていってなにかを取り出して戻ってきて、それを周りの人に言葉に変えて受け渡す。

みみずくは黄昏に飛びたつ

みみずくは黄昏に飛びたつ

 

その受け渡し方がまた独特で、執筆する際、どんどん記憶の抽斗からイメージが湧いてくるものを、意味を考えずに言葉に置き替えていくのだと。「騎士団長殺し」でいうと、騎士団長がイデアという名前を持つようになったのも、プラトンイデアとは全く関係なくて、「イデア(という名前)がぴったりだったから」という理由でしかない。

そうやってイメージに出てきたものがどんどん物語の中に取り込まれて、お互いに(勝手に)関係性を持ち始め、いつしかその流れの中で物語が勝手に結末を呼び込んでくると。

 これってなんだろう?村上さんは物語を作っているというより、巫女のように ” 媒体 ” となって無意識の世界からくるものを交通整理して、適切な名前をつけ、物語のなかに登場させるという役割を担って、あとはその現れた何かが勝手に話を進めていく。それも全て村上さんの頭の中での話なのはもちろんだけど。

村上さんは(無)意識?を分断できるようなことを言っていた。たぶん、その巫女的な言葉の生成の役割と、物語の力を発揮させる役割の両方が分離して存在することができるんじゃないかな。それぞれが干渉せずに別個に力を発揮できるから、そのことを自分自身に対して深く信じられるから、今のような執筆の仕方ができるのだろう。

しかしどうやって ” 物語の力 ” を血肉化なんてことが出来るんだろう。もしくはみんな持ってるもので気付けただけ??

* * * 

インタビューアーの川上さんの、「読者も村上さんと同じ無意識レベルまで潜って読んでるんでしょうか?」っていう発言は新鮮だった。考えたこともなかった。どうやら、そのレベルまで一緒に行くときは単に受け取るだけじゃなくて、なにかを差し出さないといけないらしい。自分自身の何かだと思うけど。

個人的には、村上さんが意味を考えずに名付けたものから立ち上がった物語に対して、解釈をせずに読むことが多い。いい加減に読んでるだけとも言えるんだけど、村上さんが巫女のように受け渡してくれた無意識からのイメージを、そのまま受け取って自分の中の物語に吸収しているんじゃないかって思えてきた。

川上さんは村上さんへのまたとないインタビューアーだった。

p.s.途中読みで感想書いていたら、あとから巫女だとか洞窟だとか全く同じワードが本文に出てきた。これは川上さんのインタビューが上手くて、イメージが読者に伝わった証だと思う。

本 洞窟ばか

「洞窟ばか」洞窟探検家、吉田勝次さん著。

洞窟探検って勝手なイメージではRPGのダンジョンなんだけど、あれは誰かが作ったものなのですぐ飽きると思う。でも、自然が作った洞窟って脈絡のなさがきっとハマるんじゃないかと。人間に合わせて作られてないことの面白さ。コウモリの糞に腰まで埋まりつつ洞窟で迷うなんって絶対したくないけど、読んでる分には面白い。

洞窟ばか

洞窟ばか

 

写真がちらっとしか出てこないんだけど、人が横向きでぎりぎり通れるような細い場所をくぐり抜けていくといの感じって、動物の消化器官のなかに呑みこまれていく感じじゃないのかな。胃カメラのんだときの映像によく似ている。ドーム型の広い洞窟部分も壁が襞のようになっててほんとに内臓っっぽい。地球の内臓を探検しているんだ。

そういう横向きの話だけじゃなくて、東京タワーがすっぽり入る大縦穴を、ロープ一本で中空を降りていく洞窟もあるって、想像しただけでくらくらする。

自分はぜったいやりたくないけど、ハマるのは分かる。著者がなんども言ってるけど、これは中毒になると思う。

本のあと2つの面白さは、洞窟探検自体のリアルな話。トイレをどうするとか。そして著者自身の面白さ。著者じゃなかったら、すでに何回か死んでるであろうリアル・ダイハード人生。おすすめ。

 

p.s.身近な小洞窟

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本 田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」

本 『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』 渡邊格さん著。

いいタイトルを考えたなと思う。腐って土に還っていくモノゴトを中心に据えて経済を回すって発想がいい。人間も最後は腐って土に還る(暇がないのが日本だけど)わけだし、このほうが人間の生きるリズムに合うに決まってる。

著者曰く、天然麹菌で穀物を発酵させようとするんだけど(世界初!)、有機栽培のものでさえ相性が合わない。そこに「奇跡のリンゴ」のように、無肥料・無農薬の自然栽培の穀物を使ったら、掛け算の成果が生まれたという。

その様を著者は、天然の麹菌が素材となる穀物の生命力の強さを推し量り、無駄に栄養を付けさせられた ” 弱い ” 有機栽培のものはすぐに土に還すべきだと「麹菌」が判断して腐敗させ、生存競争に勝ち抜いた ” 強い ” 自然栽培の穀物だけ発酵させた、という。

菌ファーストな人生を本気で送ってないと見つけられない視点だと思う。

田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」

田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」

 

本の半分は著者が送ってきた人生の話で、喩えていうなら「いろんな菌を持つ天然酵母のような著者」が、その力を一番発揮できるはずの ” 自然栽培 ” に出会えず、まさに腐ったりしていた話。ブラックな会社で働いたり、マルクスを読んだり、搾取された環境で働いたり。

著者の人生の展開と、菌との付き合い方が変わっていく話は相似形のように読める。そう考えると自分が生きて働いている環境の価値観が、そのまま自分の考え方を作ってしまうんだろうな。

そして、腐る経済を回し始めた著者のもとには、志を同じくする人たちや、パンを喜んで楽しみにしてくれるお客さんがきている。お店を始めてからたった(失礼!)5年で。(・・・同じ5年をちょうどいまの仕事場で過ごしてきて、その成し遂げたものの彼我の差に愕然としている個人的感想はおいといて)

* * *

腐る経済のなかで生きていきたいと思う。手始めに菌ファーストを日常で考えるなら、まずは菌が一番多く住む ” 腸ファースト ” が 一番近いんじゃないだろうか。

物欲よりも、腸の居心地が一番良い状態を保つことを心がける。気持ち穏やかに暮らし、適度な運動、十分な睡眠、八分目のごはん、多様な食材、親しい人たちとのご飯などなど。

あとは仕事をどう腐る経済に落とし込んでいくか。AIを触ってる身としては、やはりそれを個体に落とし込み、寿命をあえて付与するなんてことかしら。