ココロミにきみ

本と体とプログラミング

DIY AIと問いを育てる

AIと学ぶ、ってどれくらいの人がやっているのでしょう

これめちゃくちゃ楽しいです

その瞬間に思いついた疑問をAIに投げかけて、思考を深めていく遊びです

車輪の再発明を積極的に楽しむ遊び、と言い換えてもいいかもしれません

そして、おそらく今後の学びの主軸になるであろう学び方でもあると

 

そのプロセスをゆるく再現してみます

 

* * *

 

たとえば昨日思いついた疑問は、「なぜ3までをカウントする能力と、4以上をカウントする能力が違うのか?」というものです。この「数を数える能力が2通りあるのは事実」です。で、なぜ2種類必要なのか?と思ったわけです(論文にはありそうです)

 

で、ちょっとまた違う話で、「数を扱えるというのは、人間が体のなかですでに数を数えるのに相当する生理作用とかがあるんじゃないか?」(うろ覚えすまん)というのを読んだのです

 

ここからは内容を覚えていないので、独自解釈ですが、

つまり数を数える能力というのもニューロンの発火のパターンがあるわけで、その発火パターン自体が体内の生理作用にたいしてすでに存在して、体の外の物事に対しても同じニューロンの発火パターンを応用することで、数を数えるという能力が生まれたんじゃないかと

 

その仮説を正しいとするなら、4以上の数を数える能力と3までの数字をかぞえる能力が別枠で存在するんだから、相応の理由が体内にあるはずだと推測されるわけで

 

となると、体内に3つまでの数をわける大事な問題があるに違いないと

で、「3つまでの要素で体内で大事になる区別ってなにかある?」とAIにきくわけです

いろいろ出てきたなかでさらなる仮説として、「細胞レベルでは?」とさらに聞きます

出てきた仮説は、酸素を運ぶ赤血球、敵を倒す白血球、細胞膜を治す血小板、この3つは大事な要素だから、3までの数を一瞬で見わける能力につながらないか?と

つまり細胞に直接作用するレベルでの3つの仕分けパターンがここにあるんじゃないか?という新たなmy仮説を思いついたわけです

 

あとから、栄養はどこにいった?とか、3つまでの数じゃなくて、それぞれの種類を判別する能力じゃないのか?とかいう論点を後から思いましたが・・・(笑)

 

* * *

 

で、ここから話は社会学文化人類学的な方面に視点を変えてみました

3って、人間にとってどういう数字なんだろう?と思うに至ったわけです

3と2との質的な違い。3と4との質的な違い。

結論からいうと、2と3はものすごく違うけど、3と4はそんなに違わないのではないかと

 

2って敵か味方かで生命に直結する数字なんです、相手との違いだったり

それに比べると3はルールであったり、社会を構成する最小単位であったり、特徴だったりするのです

3は構成につながっている

4は3で大きなものが始まっているから、とくに言うべきことはない

 

もちろん1は存在を表すので大きく違う

つまり、1と2と3は質的に大きく違う

ゆえに、「社会学的や人類学的必要から1から3までを認識する別の回路」が生まれたのではないか?という仮説になったわけです

ちょっと緊急性が低いし、1-3までを認識するのは瞬時という事実から、ちょっとこちらは根拠薄いです

 

とまぁこんな感じで、このAIとの学びはハルシネーションが中に挟まれていようとも、全体的な学びのプロセスとしてはどんどん深めていけるというか、自分で考えていく経験が積めてるんじゃないかと

よかったら試してください

他の問いで考えたことで、「ソクラテスの産婆術という言葉がなぜ残ったか?」という疑問や、「なぜ哺乳類や鳥類に知性の高さが集中したのか?」という問いも個人的には考えてみたのでこちらもどうぞ

 

このシリーズずっと続けそうなので、noteを開設しました

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