ココロミにきみ

本と体とプログラミング

本 その農地、私が買います

「その農地、私が買います」 高橋久美子さん著

「農業をやってみたい」という人は自分も含めて多いと思うのだけど、実際に土地を借りるor買おうと行動し始めると、どういう問題と直面するのか?ということを教えてくれる

農業をすることと例えば会社で働くことは、同じ「仕事」の意味合いでは語れないことがわかった

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著者の話を聞いていると、農地というのは法律で売買に制限がかけられ、その農地の周りの土地を持っている人たちの人間関係にしばられ、天候にしばられ、近くの山の動物の行動にしばられている

さらにもしその土地を自分が取得したとしても、嫌になったら簡単に手放すことができるわけでもなく、不要の土地でも草刈りは毎年(周りの農家のために)行わないと人間関係にヒビが入るという、資本主義のいわゆる「商品」とは全然呼べないもの、という所がスタート地点だった

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農家出身でない自分としては、どうして土地という「価格がついているもの」を、「コンビニで商品を買えるようにすぐ買えないのか・売れないのか?」というのが素直な疑問になるんだけど、実はこの疑問になっている自分が本当はおかしいのかもしれない

つまり、お金と商品が等価交換できる場面が日常生活の大半を占めているため、その交換には適用できる範囲があることを忘れているだけなのかもしれない

話を具体的なところにフォーカスすると、著者のおじいさんの話が面白い

山で枝打ちや倒木を運びだすことと農業は、ダイレクトにつながっているのだと

・(針葉樹を切って)広葉樹を茂らせる・・・動物が食べる実ができる

・動物の住処となる場所が山の中にできる(ここは関連性がよくわからない)

・人間の世界と動物の世界の境界となる里山(人の匂いが残る)が維持される

そうすれば動物は山の中で暮らしていく

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しかし、おじいさんがなくなり、山に入る人がいなくなると・・・

閑話休題

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いわゆる畑仕事だけでも大変なのに、動物、天候、人間関係と、畑の外の多様な課題と付き合っていかなければいけない、というので農業って大変すぎない?と思えてくる

しかしこの自分の感覚も、農地が単純な「商品」でないのと同じく、農業が(会社での仕事とは)違う種類の「仕事」だと捉えないといけないのだろう

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ただ、そんなに辛いことばっかりだったら誰も農業を続けないはずで、何かこの大変さに見合うだけの、もしくはそれを上回る喜びがあってしかるべきじゃないの?と当然思う

あ、でも農業をする人が(機械による省力化以上に)減っているなら、農業の大変さと喜びや楽しみがつり合ってないんだろうな

今後自分が農業に関わるかは分からなけど、「農地」「農業」を、資本主義のいわゆる「商品」や「仕事のひとつ」としてしか考えれなかった自分の感覚が、おそらく多くの人の感覚でもあって、ここのアップデートが農業を変えていく最初の一歩なんだろうと思った