「リバーエンド・カフェ」たなか亜希夫さん著
(ネタバレありです)
石巻の川のほとりにあるリバーエンドカフェ、そこに高校生の女の子サキが通うようになる
サキは東日本大震災に小学生のとき遭遇する 詳しくは語られないがおそらく両親を失い、自分の感情を表現する言葉を失ってしまっていた
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そのカフェのマスターは正体不明ながら、サキは有耶無耶のうちにカフェに通うようになる
カフェにはマスターの知人たちが順番に訪れ、サキはその人たちと関わることで言葉を取り戻していく
ある時、サキはマスターの持っているレコードを通じて歌手ベッシースミスのブルースを聞くようになり、自分が抱えてきたことを歌で表現できることを知る
二年後、サキは再びカフェを訪れると、リバーエンド・カフェは忽然と無くなっていた
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ここから感想
ストーリーはシンプルながら、とても心惹かれる漫画だった
最終巻でマスターや周りの知人たちが幻想の住人だっったのかもしれない、という話を知って、夢オチできたか!と最初思ったが、そんな単純な話じゃないと思い直した
つらつら考えるうちに、これは「能」なんじゃないかと
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マスターやその知人たちの多くは震災でなくなった人たちは「シテ」で、生きている側の人間サキである「ワキ」に色々なことを語ってくる
サキは、突然現れたシテたちにおどろきながらも(もちろん生きている人間同士の話として描かれてる)、その話を聞いているうちに、自分のそれまで言えなかった思いを歌に載せて表現するようになる
その歌が、結果として「シテ」たちへの鎮魂歌となり、「シテ」たちは元の世界に帰っていき、「ワキ」役であるサキはその地を離れる旅人となる
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・・・まぁ、勝手な想像ですが
さらに続けると、カフェはサキの視点から見て、左手側に描かれていた気がする
それが何を意味するかというと、能の舞台で、左手側は「シテ」が現れたり消えたりする場所であり
さらにさらに、なぜ名前が「リバーエンド」であって「リバーサイド」ではないかを考えると、川というのはそもそも、この世とあの世の境の表現であり(三途の川とか)、「リバーエンド」この世(こちら側)の終わり、ということを分かりやすく表しているんじゃないかと
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最初、能の形式にしたのは何か意味があるのかな?と思ったけど、これはもう、それしか方法がなかったんだろうなと思い直した
震災という難しいテーマを扱うのに、徒手空拳で向かうと物語が回収できなかったり、読者を傷つけたり、作者自身も傷を負うかもしれない
だから、「能」のように、そういう難しいものを扱うのに長けた方法論を使って、やっと震災をテーマとして扱うことができたんだろうなと
おかげで「能」の存在意義もちょっとわかった
おすすめ
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p.s. 最後にひとつ分からないのが、サキにトレーニングをつけてくれるはずだったあのオッサンとマスターって、どういう関係性なんだろうか?
いつか分かる時が来るのを楽しみにしつつ