ココロミにきみ

本と体とプログラミング

啐啄の機を深める

先日の日本辺境論の感想(再読)では、啐啄の機に興味が湧いたという話をした

今日はその具体的な自分の経験を描いてみたいと思う

それは『風の谷のナウシカ』の魅力にもつながる

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日本が辺境にあることが、なぜ啐啄の機の話につながるかを改めて考えてみると、辺境人のマインドは、「良いものは常に遠くにあって、我々はそれにいつかたどり着く『道』として粛々と求めていくのだ」という学びとの型しては素晴らしいものになっているが、同時に、『道』ゆえに、その良きことのイマ・ココでの実現を求め(てはいけ)ないものになっていると言える

だから辺境人としては生き方のバランスを取るためにも、「啐啄の機」を常に求め続けたほうがいい、という話がでてきたのだと

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先日というか昨日、雪のなかを歩いていると、目の前をちょっとだけ通り過ぎた人が、派手に転んだ

すでに通り過ぎてるわけだし、気づかなかったことにしてもいいよな?と一瞬迷ったあと「大丈夫ですか?」と声をかけた

自分が転んだときに、声をかけられた方が嬉しいと0.1秒で思い出して

全くもって、啐啄の機ではない

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どうでもいい話だけど、転んだその人は、荷物をたくさん肩からぶら下げていて、しっかり転んでいるのにビニール傘を手放さずに持ち上げていた

「○○は倒れても△△を手放しませんでした」的な戦時中の教訓話を思い出して、もしかしたら、その転んでも傘を持ち上げ続けてる姿を見て、自分は声をかけたのかもしれない

実際、倒れてる状態から起き上がるのに、明らかにその傘を持ち上げてるのが邪魔そうだったから、(立ち上がる間)「傘を持ちましょうか?」と手を差し出した

すると、その人は空のほうの手を伸ばしてきて、手を引っ張って立ち上げてくれという無言のジェスチャーだったので、その手を握って引っ張り起こした

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ガシッと手にかかる体重の感覚は、全く見知らぬ人どうしなんだけど、ある種の信頼がそこに存在していたのが妙に印象に残った(本筋には関係ない話だが)

次にある記憶はもう自分が雪の中を歩き出して、待ち合わせの場所に向かっている光景だった

おそらく引っ張り起こした後は、もう何も手助けすることはないと、状況と自分の反応が全自動のように行われたので(たぶん)、記憶がなく、これはもしかすると啐啄の機の体現なのかもしれない

啐啄の機が体現されているときは、もしかしたら記憶が残らないのかもしれない

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話を変える

風の谷のナウシカ」には色々魅了があるが、「ナウシカ自身の魅力の一つは、啐啄の機を体現している人である」ことだと、啐啄の機を考えてて言語化されるに至った

漫画か映画か忘れたけど、風の強い夜中に、異国の飛行艇が風の谷の空に堕ちかけて迷い込んくる、秒を争う緊迫したシーンがある

ミト爺か誰かが、「姫様(ナウシカ)なら、こんな時どうしただろうか?」というようなことを叫ぶと、ナウシカをよく知る子供たちが「姫姉様(の場合)なら、もうとっくに救助に行ってる」という答えを返すシーンがある

まさに、「助けなきゃと思う心」と、「実際に助ける行動」が同時に行われてるのが、ナウシカなんだろうと

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そしてきっと、ナウシカは啐啄の機が体現されていることを、ほとんど自覚せずに行っている(ように描かれている)のだろう

おっと、気づけば風の谷はそれこそトルメキアとかに対する辺境の地として、描かれているじゃないですか!

うーむ、まさにナウシカは、『道」を求めつつも啐啄の機を体現する、日本人にとっての理想だったからこそ、人気の映画になったのかもしれない

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今年も1ヶ月が過ぎてしまったが、今年のテーマは啐啄の機にしよう