「人新世の『資本論』」斎藤幸平さん著
マルクスの「資本論」を読んだことなかったのだけど、「資本主義」が何なのか少しわかった
漠然と思ってたけど、基本的に人間がその自身の力を使うこと以外はすべて、地球の内蔵資源を使うことに他ならないのだと
いきなり横道にそれるけど、生産性が「高い・低い」は、無駄な会議や残業という面もあるけれど、生産する際に地球資源に依存する量が「高い・低い」の言い換えでもある
そう考えると、環境負荷の小さい(生産性の低い)日本の生産のあり方はこれからの世界でまんざらでもないかもしれない
話を戻して、今は「資本主義」が世界を包み込んでいるように見えるが、実は資本主義には外側には『自然環境』があって、その自然環境の許す範囲でしか動けない、つまりは資本主義は『自然環境』に「あらかじめ限界を告げられた存在」だったんだと
想像してみればいいけど、何もない宇宙空間のみでは「資本主義」は何もできない
「資本主義」は先に環境資源があることが前提で、それに対して「希少性」を作りだすことで価値を作り出す
・・・この「希少性を人工的に作り出すのが資本主義である」という見方を著者から学んだが、すごく使える視点だと思う
例えば今は空気は無料だが、わざと空気を地球規模で汚して「綺麗な空気」という希少性を作り出して価値を作り出して売るというのは、
「資本主義」からしたらものすごく魅力的なアイデアになる
その先遣隊ではないかと思える水道の民営化は、単にコストが理由ではなくて、誰でもアクセス可能な資源である水に希少性を作り出す(飲めなくなる人が出る)ことなんだと
そこに人間を大事にする視点はない、しかし「資本主義」というのは本来そういうものであるんだと
・・・ここは個人的な謎なんだけど、「資本主義」って人間に最初からインストールされている、「本能」みたいなものなのだろうか?
人類の99.9999%ぐらいの人は空気が販売される世界なんて望んでないと思うけど、「資本主義」に個人個人でいうなら勝てない
・・・人新世と呼ばれるぐらい一つの「種」が地球レベルでパワーを持つことをDNAは予測できなくて、生存競争の中で「資本主義」を”本能”としてインストールしたんだろうか?
で、「資本主義」はもう自然環境の制限に到達しちゃったから、「違う道」を探す他ないと
じゃあどんな道があるんだろう?と考えた時に、「資本主義」を徹底的に考えたマルクスの、晩年の研究の中にその答えがあったというのが筆者の主張
それが脱成長社会であり、市民営化で生産する「コモン」である・・・詳細は本で
その”コモン”を可能にするには、人口の3.5%の人が、その新しい生き方を実践することだと
喜んでその3.5%の一人になります