ココロミにきみ

本と体とプログラミング

本 コミュニティ ナース

「コミュニティ ナース」矢田明子さん著

 キャッチコピーをつけるなら、

ご本人たち「白衣を捨てて街にでよう」

受け取る立場「白衣、遠方より来たる」

「病院」という閉ざされた空間から出て、町や村の人たちと顔見知りになり、人としての関係の中で健康の手助けをする「コミュニティ・ナース」が現れた

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日常のちょっとした健康不安、家族が入院したときの気持ちの落ち着かなさ、そういうことを雑談のように相談できる人がいるのっていいよなー

 この、コミュニティ・ナースって、すごく価値ある存在だと思うんだけど、なんで今までなかったんだろ?

たいていの病気(問題)って、初期段階で対処すればするほどトータルでコストが下がるから、未病とか初期の段階で専門的な知識を持った人と相談できる仕組を、自治体レベルで実施する話にならなかったんだろうか

コミュニティナース ―まちを元気にする“おせっかい”焼きの看護師

コミュニティナース ―まちを元気にする“おせっかい”焼きの看護師

 

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著者が言ってるのだけど、むかしは保健師さんが、このコミュニティ・ナースと同じような役割を担っていたそうな

それがいつの頃からか、健康問題は「病院」という閉ざされた空間内だけで対処されるものになってしまった

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保健師さん以前もきっと村で一番の物知りとか、漢方の専門家や、もっと昔ならシャーマンのような存在がいて、その共同体全体をみる人たちが常にいたんだろうなと思う

ただ、その全体を見ている人の

・存在意義がお金で計算しづらい(健康相談と雑談との区別が難しい)

・場所が不明だから管理しずらい(役所側からみたら)

エビデンスがない(誰も統計をとったりしない)

という近代化の理由で消えていったんだろうなーと想像する

しかし、そういう共同体全体をみる存在がやっぱ必要じゃん!って、なくなって何十年かしたら、みんな思い始めたんだろうな

その復活の狼煙を上げたのが、著者たちであると

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この仕組みが発展していくなら、教育や宗教でも、同じようにコミュニティごとの面倒みる人が出てきてもおかしくはない

・コミュニティ・ティーチャー

・コミュニティ・リリージャス(?)

みたいな

人間の納得できるサイズ感って、やっぱコミュニティぐらいで、それを超えた統一的な尺度(全国レベル)で仕組みを作り出すと肌に合わなくなって、結局コミュニティ・サイズで同じものを作り直すことになるんじゃなかろうか