「神は詳細に宿る」養老孟司さん著 感想5
普通私たちが考えている、事実とそれに対するリアクションとしての行動は、例えば
「A.彼はウソをつく(だから悪いやつ) → C.私は彼を非難する」
という反射的な行動が多いと思う
著者は、AとCの間に隠れている「B.あなたが世界をどう認識するか」が重要だという
つまり、以下のプロセス
「A.彼はウソをつく → B.私は彼が悪いやつだと認識 → C.私は彼を非難する」
を意識しろと
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養老さんはなぜ、この「B.私が世界をどう認識するのか」を強調するんだろう?
___考えてみるに「自分の世界への認識」はたいてい自動化されており、「Aの事実」と「Cの行動」までがセットになってて、そのままでは他の行動が選べないからではないかと
そしていつも同じ行動になっているのは、自分自身苦しい気がする
自分の「認識パターンの奴隷」にならないために、「自分の認識」を意識化しようと
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具体的に「B.認識」のバリエーション例を考えて見ると、
「A.彼はウソをつく → B.ウソつきはなくならないと認識 → C.正直な人を応援する」
「A.彼はウソをつく → B.彼は信頼されてもいると認識 → C.その理由を研究しよう」
「A.彼はウソをつく → B.それがどうしたと認識 → C.私は毎日の生活を大事にする」
というように「B.認識」に応じて全然違った「C.行動」が選べるようになる
また、「認識」は気分や体調にものすごく左右されてることに気づけば、よりぶれない行動が選べるようになる
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今日の結論として
・磨きやすい「C.行動」を必死で修練するよりも
・隠れた「B.認識」を意識化したり、バリエーションを増やす
そうすると、人と違った「C.行動」に繋がり、結果として他に類がない「D.成果」が出せるようになると