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本 神は詳細に宿る 感想1

「神は詳細に宿る」養老孟司さん著

養老さんの言葉に「え!?」と「なるほど〜」があまりに多かったので、数回に分けて感想を書く。

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曰く、19世紀までは「情報」という言葉(定義)がなかったと。

たしかに「情報」は、明治の頃に輸入された概念に当てた字だろうなってことは予測がつくけど、欧米でも「information」という言葉は20世紀のワトソン・クリックぐらいからだそうな。(相手の「心の中に、何かを形作る」in + formが語源だそうだ)

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じゃあ、それ以前の人たちは「情報」にあたるものをどう扱っていたんだろう?という疑問が湧く。もしくは、どうやって生きていたんだろう?と。

たとえば、漫画や映画にあるような「ババ様のおしえ」って言葉の響きに、なんか納得するわけだから、昔は「情報」に類するものは滅多になくて、もっぱらリアルな物事に対処する人生を送っていたんだろうな、と無理やり推測。

神は詳細に宿る

神は詳細に宿る

 

なんだか「情報」のなかった時代は、とても健康的な生活の気がしてならない。そうか、今でも動物たちは情報なしで生きているんだ。そりゃ、悩みも少なかろうよ。

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話はさらに。著者は言う。じゃあ現代にとって、定義されてないものは何か?

・・・それは「意識」であると。

意識は定義できてないから、なぜ、麻酔薬が効くのか分かっていない。その延長線上にあるのは、「定義できていない『意識』が作った科学技術を、私たちは「信じて」暮らしている」ということ。

それで暮らせちゃうんだから、「情報」の定義がなかった昔の人を笑えない。意識の定義ができた未来があるとしたら、今と何が変わるのだろう?

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余談で、何の話においても「意識」を意識することの原理的な難しさが、養老さんの話を分かりにくくしていると思う。正直、自分もまだ整理しきれていない。

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余談その2。

「情報」という言葉は、いまだに日本語にしっくり来てないんじゃないかと思う。それは「知識」も含んでいるし、「データ」の意味も含んでいる。

この「データ」の、日本語にそれに相当する概念が存在しないことが、「情報」をものすごく曖昧な概念にしている気がする。

日本では情報化社会って言葉が連日のように語られて、みんな、何らかの(その定義がしっかり出来てないがゆえの恐れに似た)イメージを持っている気がするけど、欧米圏では果たして同じイメージを持っているんだろうか?

たんに「テクノロジーの部分だけが発展していく社会」的なイメージで未来を見ていないだろうか?

感想その2へ続く。