ココロミにきみ

本と体とプログラミング

本 バカのものさし

「バカのものさし」養老孟司さん著

子どもたちの疑問に養老さんが手加減なしで答える。子どもの視点(成長度合い)って年齢だけじゃなくて、人によって全然違うんだなと変に発見。

質問するような子たちは頭でっかちで、体を動かすのが下手なのがわかる。養老さんは体をつかう機会を減らしてしまった都市での生活が、この子たちを作ったという。

バカのものさし (扶桑社文庫)

バカのものさし (扶桑社文庫)

 

その答えの中で気になった2つの話。

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動物たちは、象、鳥、犬、猫など一文字で表す。人間を表すには ”人” も使うけど、言葉の使い分けがあると。

中国語で ” 人間 ” は ” 世間 ” の意味合いで、日本語でも ” 人間 ” という言葉を使うときは、” 世間の中にいる人 ” の意味で使われている。つまり、お母さんのお腹から生まれた瞬間から死ぬまでの間のこと。

この話から思いついたのが、 ” 死んだ人間 ” とは言わず ” 死んだ人 ” という表現をするのは、まさに世間から外れてしまったので、人間ではなく動物としての ” 人 ” があてられるのだと。

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もう一つは「コンピューター上の『人工生命』は生命なのか?」に対する答え。

生命というものを、われわれが頭のなかで定義したとたん、それはどうしても「情報」に変わっちゃうんです。むずかしいですか?われわれが生き物と呼んでいるものは、情報としては作れる。けれど、生命そのものは作れないと、まあそういうことです(本文より)

いつもの養老節が炸裂! 

「定義した途端に ” それ ” が情報に変わってしまう」このフレーズを覚えておこうと思う。都市では定義されないものは基本的に排除される。誰のものでもない ” 石ころ ” が道路に落ちてるのが問題になる。そして定義できるものはコンピュータが扱うようになる。

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「人(世間から外れる)の時間」を増やし、「一意に定義できないものを、どれだけ仕事に・人生に取り込めるか?」が、” ものさし ” になってくるんじゃないかと思う。