ココロミにきみ

本と体とプログラミング

「カオナシ」は顔を無くした「でいたらぼっち」だった

もののけ姫」に出てくる「シシガミ様」こと「でいたらぼっち」の首を刎ねられた姿が、「千と千尋の神隠し」の「カオナシ」であることに気づいた(勝手に)。

「でいたらぼっち」が首を刎ねられ、コントロールを失って周り中の生命を吸い取り巨大化していく姿はまさに「カオナシ」の狂乱状態。つまり、首を刎ねられた「でいたらぼっち」が仮面で封印されたのがまさに「カオ(顔)ナシ」なんだろう。

顔がないだけじゃ説明になってないから「お前はいったい何なんだ?」と聞かれたら、カオナシの正体はまさに名前のない「自然そのもの」なんだろうと。

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カオナシは、ずっと自分の「頭」を探してきた。”それ”なしでは調和が取れず、いつ狂ってしまうか分からない。自然そのものであるカオナシは富を生み出す源泉でもあり、そこに人間が欲を持って接すると、コントロール不能になってしまう。

一度首を刎ねられてしまったカオナシは、もう絶対的に何かが足りなくそれ自身は自分が手に負えないものになってしまった。

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 しかしもし仮に、カオナシが「千」を手に入れていたらどうなったんだろう。「千」はカオナシの「頭」になり、カオナシはやっと調和の取れた状態に戻り、生と死を司るシシガミ様に戻るのだろうか。

もちろんそんなことはありえない。「千」を手に入れたカオナシは、やはり狂ってしまのだろうと。

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カオナシはもうシシガミ様には戻れない。頭を永久になくした「でいたらぼっち」として、ふわふらと人間社会やそれ以外の世界を歩き続けていくのだろう。

人間が出来ることとしては、カオナシに気づいたら、きちんと仲間の一部として役割と仕事と敬意を払って暮らしていくほかはない。

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結局、カオナシの「顔」とはいったい何なんだろうか。自然に顔なんてないのだから、あくまで人間が接したときにそれに相当するものを勝手に作り出しただけのことではあるけれど。

なんとなくカオナシの「顔」というのは「調和」という概念じゃないかと思った。人間が接するのでなければ、カオナシカオナシですらなく、名前を持たない何者かに戻る。そこで何が起きていようとも、人間にとっては関係がないから認識もない。

人間が接した時点で「でいたらぼっち」はカオナシになり、ちょっとしたきっかけで調和を欠いて荒れ狂い出す。

そういう「自然」のあり方を二つの映画は静かに伝えているのかもしれない。