「京都の壁」養老孟司さん著
普通、都市は城壁で囲まれるのが普通。京都にはそれがない。日本では代わりに心の中の壁がそれに相当する。物理的に入れないわけじゃなく、心理的に入れない壁。その”壁”があるものとして日本人は振る舞うから、あるものとして機能する。襖や障子が外国人にとって、存在意義が分からないのもそのため。
京都はその、心の中の壁の一つの極みとして存在するのだろう。
そもそもなぜ京都が奈良時代のあとに選ばれたか?それはおそらく資源の問題である、ということを初めて知った。 奈良の都の資源が枯れ、大阪の淀川を取り扱う技術はまだなく、京都が選ばれたと。歴史の時間に当然のように「遷都」という言葉で習ったけど、もっと政治利害的な理由だと思っていた。頭でっかちになってたなぁ。
京都に都がある平安時代に日本語が完成したという。その時代は情報時代。貴族は御簾の向こうにいて、肉体から遠ざかる。その後、戦国時代になりに身体の時代が復活する。そして江戸時代はまた情報時代。明治が身体の時代になりと、言われてみると面白い。現代はもちろん情報時代。
今の京都は身体がまだ残ってるほうじゃないかと個人的には思うんだけど。
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以前、書の先生が「京都の越してきて10年経つけどまだ入れてもらえない」とこぼしていたことがあった。その先生はそれからほどなくして亡くなられて、入れてもらえたのか分からないまま。京都の人になるのは1世代ではダメなのかもしれない。
京都の壁の向こうになにがあるんだろう。そう思って京都にいくだけで尽きせぬ魅力を引き出せるなら、壁がずっとあってくれたらとも思う。