ココロミにきみ

本と体とプログラミング

本 アジア辺境論

「アジア辺境論」内田樹さん、姜尚中さんの対談。

たとえば隣の家の人と仲が悪いとか、同僚で嫌いな人がいるとかよくある。隣の落ち葉が自分の庭に入ってきたとか、挨拶してこないとか。いったん嫌いなったあとは、その感情の維持が大事になって、理由を後付けで探してきたりする。

それが他人だと、そんなことで機嫌悪くしててもしょうがないでしょ?って思ったり言ったりするけど、自分が当事者だと仲良くするの絶対無理っとか思うわけで。

視点を変えて、自分が地域おこしのメンバーや、会社全体の利益を考える人だったら、「仲が悪い隣人同士や、嫌い合う同僚同士がいること」をどうしたいか。

地域として、会社としてパフォーマンスを上げたいなら、反目しあうことにエネルギーを無駄に使ってマイナス状態にさえなってるのをナントカしたいんじゃないか?

それが国単位でも。それがこの本になる。

ここらはスピンオフ的に考えたこと。

「誰かを嫌いでいること」は、自分個人のパフォーマンスも2つ大きく下げることに気づいた。

一つは、他に使うべきだったエネルギーが「嫌いでいること」無駄に使われているということ。有限のエネルギーをそんなことに使う暇あるのか自分!?

一つは、「嫌いでいること」というのは「自分の心の一部を固定」してしまい、生産性を下げたり、成長を邪魔しているということ。たとえば怪我(=固定)してる時って、そこを庇う無駄な動きになってたり、気が散って集中力が減るのと同じで。

・・・そう考えると「嫌いでいること」は自分個人にも、自分を含む社会にとっても何もいいことはないなと思う。

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ただ、そんな簡単なことみんな実感として知ってるのに、なぜ「嫌い続けるか」って言ったら、そのほうが「その瞬間は楽」なんだよね。