「ことばを鍛えるイギリスの学校」山本麻子さん著。
イギリスの国家戦略としての自国民の「英語を鍛えること・脳みその鍛え方」がよくわかる。こんな鍛えられ方をしてる国の人たちと特に政治で競って勝てるわけがない。
イギリスでは小学生前から、道具としての「ことば」を効果的に、徹底的に使える訓練をする。さらに道具としての「ことば」だから、一旦それが発せられた後は言葉は「公共物」になり、それに別の人が何か付け加えたり、改変することを当たり前とする。だから議論が成り立つし、”議論”によって新たな「知」が生まれ得る。
そのためにイギリスでは、「ことば」を授業以外の実践で使う機会を学校内外にいくつも、それも毎年毎年設け、親も地域の人も会社も、学校の先生に協力して社会全体で子供の「英語」を鍛えるという意識と実践がある。学校生態系に親も地域も組み込まれており、皆がその勤めを果たさないと教育が回らないものを、回している。
日本でも個人レベルでは良い先生がたくさんいて、同等以上のことをしてる場合もたくさんあるとは思う。でも、国全体での教育への当事者意識(批判者でなく)レベルが全く違うので、合計値としての「ことば」の鍛えられ方、つまりは脳の鍛えられ方は比較するのが悲しくなるくらい違うだろう。
結局、いまの日本で英語教育を小学校でちょっと何かやったところで、道具として「ことば」を使い倒し、脳を鍛えまくる訓練を何年も受けてきた人たちと戦っても、まったく勝てない現状が続くだけなのは分かった。
それよか日本語を道具として徹底的に使う訓練をさせて、脳を鍛えたほうが、まだしも戦えるようになると思う。そんな話は小さい声でしか語られてないだろうし、「え?自分がこどもの教育に実践者として責任持つなんて無理!」っていうのが普通だろうな。
どこか私塾単位で始めるくらいか。。。