今週のお題「わたしの本棚」
(要約)紀元前5世紀を中心にBC800−300あたりに、今に続く人類の大きな考え(含む宗教)を作った人たちがかたまって出現した。ソクラテス、孔子、第二イザヤ(キリストにつながる)、釈迦。
著者の言うこの話には前から興味があって、この時代の前後で人類の生き方が全然違うんじゃないかと個人的に考えている。本に付け加えると、この時代に中国では漢字にそれまでなかった「心」という字が出現している。つまりは、この時代にいわゆる「心」が生まれたのかもしれない。それまでは” 心 ” は人間になかったのかもしれない。
”心”の定義は決まってないけど、体調と脳の機能のモニタリング装置として働いていると考えてみる。すると、その時代までは”心”がないから、人間は外部世界に対する反応装置としてだけ機能してたんじゃないかと。例えば生け贄にされることに生存欲求的に拒否反応があっても、人格的な拒否反応はなかったかのかも。「なんでワタシが!?」が無かったと(勝手な想像)。
さらに全然仏教の話からも本からもずれていくが(笑)、この時代に”心”が生まれたとしたら、その直接的な原因はなんだろう?
気候の変化?栄養状態がよくなって脳が何かの臨界点を超えた?社会があるレベルの複雑さを超えた?何かのウイルスが蔓延した?
原因の話だけでなくて、”心”が機能するようになって、体内モニターの結果を外部にフィードバックするようになったら、体の使い方も変わったかもしれない。
自分に必要な時に出会うと、どんどん質問が湧いてくる本。今回も途中で読むモード失せた。今回得られるところは終わったのだろう。4回目に期待。