ココロミにきみ

本と体とプログラミング

映画 before midnight

イーサンホークとジュリーデルピーの映画「before midnight」を観た。なんと言っていいか分からない。今回はそこを追求してみる。

最初にこのシリーズの一作目、「before sunrise」を観たときは、二人の魅力と会話の面白さに惹かれ、それから好きな映画は「before sunrise」と答えるようになった。その場その瞬間を楽しむことに全エネルギーをかける喜びは、この映画で初めて学んだ気がする。

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それから二年ごとにこの映画を観て、毎回自分の成長を感じる軸の一つにしてきた。だいぶイマ・ココを楽しめるようになったなって。最後に見た二年前、感動がなくなってることに気づいた。自分にとってリアリティがなくなってしまったのかもしれない。悲しいことだけど。

一作目のわかりやすさをアメリカ映画とするなら、9年後に作られた二作目はフランス映画っぽい。まだそこにも二人の魅力と会話の魅力はあった。ただ、二人の魅力の描き方が、”その世代ならでは” になってないのが残念だった。そして、言葉の世界に没頭し過ぎて、イマ・ココを楽しむことから離れている感じがした(設定上そうなんだろうけど)。記憶に残るのは最後に二人でいるシーンのみで、二回くらいしか見ていない。もしかしたら今見たら違う感想になるんだろうか。

 さらに9年後に作られた今回の三作目はイタリア映画のように見える。美しい風景に半野外で皆で囲む食卓。中年になった二人の陰と陽。一作目では場を和ますイーサンの軽口が、ここでは場を破壊する狂気にも見える。ジュリーの魅力の一つだった神経質も、人生を狂わす凶器になっている。人間はそうそう変わらないってことなんだろうけど、なんだか悲しいなぁ。結婚して子どもを持ったら、この映画がしっくり来るんだろうか。

話の筋とは関係ないけど、女の人がある瞬間に年齢をどんどん遡って、若いときだとか子どもの時の顔が今の顔の中に見えることがある。たぶん、その人が自分を縛ってる見えないルールを解いたときに現れるんだろうと思うのだけど、今回のジュリーの顔の中にも同じものを見た。ってことはジュリーも幸せな瞬間があるってことなんだろうけど、なんでこの三作目が作りたかったのかがよく分からないまま。