「わたし、解体はじめました」 畠山千春さん著
筆者は鶏を絞めて食べるワークショップを開催しているのだが、初めて自分で絞めて食べたときに「その鶏が自分の体の一部になった感覚」があったという
そして自分の一部になるのだから「幸せに生きてきた鶏を食べたい!」と思うようになり、また、自分の体が欲する(野生の)肉の量が少量でいいことがわかったと
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なんかすごくわかる話で、ゲージの中に詰め込まれて動けないブロイラーの鶏生(人生の鶏版)って、あんまり幸せな気がしないし、それを食べる自分も幸せな気がしない
比較して、平飼いの鶏だとか、野山を駆け巡って生きてきた鴨とかは、肉に詰まってるパワーが違う気がする
そうやって幸せに生きてきた鶏とかを食べると、肉のパワーがすごいからいつもより少なめで自分の体が満足するのだろう
・・・個人的には、今はスーパーの肉でも美味しいと感じるときはあるんだけど、ジビエの肉を食べたらもう戻れないような気もする
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本の後半は初めて獲物を獲るまでの話で、新人猟師のリアルさがわかった
なんとなくでは絶対獲れなくて、一定のレベルに達してやっと勝負が始まるという感じ
広い山の中でごく最近の足跡を発見して、そこにどれくらいの集団がいて、どんな頻度でどういう道で動いて、その中でも具体的に「この足跡のやつをここで獲る」という具体的な狙いができるようにならないと獲れないと
それはたぶん、ほとんどの人が動物がどれだけ賢くて、用心深くて、どんな行動をしているのかを命をかける深さで向き合ったことがないから
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猟師になりたい、猟師をやりたいと思ってる(自分のような)人間に立ちはだかる関門は、この最初の一頭の捕獲だろう
先住猟師がいない山を探して毎日通って、足跡を見つけてイノシシの個体識別ができて・・・って、どんだけ山に入って、空振りをしたらできるようになるんだろう
とても面白い本です