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本 若者よ、マルクスを読もうIII

「若者よ、マルクスを読もうIII」内田樹さん、石川康宏さんの往復書簡

自分はマルクスの著作を一冊も読んでないと前置きした上で、「マルクスが理想とした人間の生き方」を本書で読んでいると、最新の生産様式と同じではないかと思った

それは「プロジェクトごとに、専門技能をそれぞれ持った人が個人として集まって協力して結果をだし、成果を得て、また別れる」というもの

もしかしたら「生産手段が機械化・電子化・低価格化して相対的な価値がさがり」、「価値があるのは個人の考え方やアイデアや実現力である」・・・とリアルに言えるようになってきた今が、やっとマルクスの思い描いていた世界の1つのあり方なのかもしれないと

若者よ、マルクスを読もうIII

若者よ、マルクスを読もうIII

 

旧ソ連東ドイツ、中国ですら共産主義体制から、ほぼ資本主義になってきた今、なぜマルクスが必要??というのは僕でも思いつく疑問だが、実際は世界中の大学で、マルクスはいまだ必須テキストになっているのだと(逆になんで日本では必須じゃないんだろう?)

いまの資本主義というか市場経済の仕組みを拡大再生産していって、多くの人が幸せになれないのは火を見るよりも明らかだから、それを相対化する視点が必要で、それを一番担える射程の広い発想がマルクスなのかな??

吉本隆明さんは、今の行き詰まりを考えるのには、原始時代よりも前の、猿だった頃から考えないといけないと言っていたけど、実際のとこどうなんだろう?

とりあえず脳内デスクトップに課題として平積みしておく

 

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余談といって良いのか分からないけど、マルクス・レーニン主義という形で世界中に広がったマルクス主義は、日本では血肉化せず、社会的な力を持つことができなかった

それがゆえに日本では、理論だけの存在としてマルクスを扱うことができ、マルクスそのものと、マルクス・レーニン主義の違いを考えたりする余裕があり、マルクス理論の培養・醸成地としての役割を、偶然にも果たすことができたのかもしれない

その結果として生まれたのがこの若マル・シリーズ本であり、韓国や中国にも翻訳版が売れているという状況になっているらしい

なんだか、歴史の大きな流れと偶然が織りなす不思議を見ているような気がする

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また、本書によると、19世紀後半から20世紀のヨーロッパ世界での理論は、どの分野であれ、マルクスの理論に対する大きな意味での「返歌」という形でなされたという

つまり日本に生きていようが、欧米型をモデルとした社会システムになっている以上、根底にマルクスがあるのだと

つまりは、マルクスを読むというのは、万葉集だとか、古今和歌集を読もうといったことと同じなんだなと

ちょっと読んでみたくなったかも