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本 最終講義 生き延びるための七講

「最終講義 生き延びるための七講」内田樹さん著

 武道家であり教育者である内田先生の、神戸女学院大学での最後の講義と、いくつかの講演を集めたもので、「学ぶ」ことに関する知見の集大成とも言える

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初めて著者の本を読んだのは「村上春樹にご用心」か「下流志向」のあたりだった

どちらも同じ著者だと知らないまま、「なんてこの本は自分にぴったりなんだろう?」と思いながら、ちょっとずつ内田さんを知り始めていた

今から思えばそれが、自分宛ての「ヴォイス」の初めての経験だった

面白いことに、この「自分宛ての感覚」は読み始めてすぐ起こるもので、最後まで読み終えてないのに「これは自分のために書かれた!」と思ってしまう

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著者にはそれが、「レヴィナス」や「合気道」だった

理由が分からないけど関わることになったり、何かよく分からないけどその場にいることになったりするモノゴトに出会ったとき、人は「最大の学び」を得るのだと

「いったい自分は何でここにいるのだろう?」「なんでこれをしているのだろう?」という「自分への謎」が、「学び」を駆動するのだという

・・・まぁみんな自分のことしか最後は興味ないわけだから、当然とも言える

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逆に、いま普通の学び方である、金銭や地位を得るための「学び」は、「何かを得るのがゴール」だから、多くの人はコスト・パフォーマンスで考えてしまい、学びのために「最低限度の努力」を払おうとする

・・・「最低の努力(支払い)で何かを得る」ことが、「資本主義」では「一番賢い」とされるから

しかし、それはある一定の基準をクリアする程度の「学び」であり、なんら新しいものを生み出したりはしない

逆に「何かを発見する」とか「発明する」とかいった、多くのエネルギーを必要とする「新たなものを作り出す『学び』」は、自分発の謎に導かれるような内発的で、損得と関係ないがゆえに「爆発的に使われる力」がある時に生まれるのだろう

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つまり、なんと、資本主義の考え方に慣れ親しむほど、「新しい物事を生み出せなくなる」という結論が導かれる!!

・・・これが平成・令和の日本の現状に繋がってるんじゃないか?と思った人も多いのでは・・・

この、「学び」と「資本主義」の組み合わせのまずさは、子供の「教育」を考えたときにも言える

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こどもは小さい時ほど、全能感に満ち溢れている

それはそれで素敵なことだけども、人生のどこかで手持ちの物差しでは測りきれない矛盾に出会う必要がある

たとえばそれは、父親と母親の教育方針が相反しており、子どもが「どうしたらいいのか分からない!」となった時

そんな時、より広い視野を持つ自分を得て、子どもはひとつ、オトナになる

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このことは、たとえば学生が社会人になって、それまでと違う価値観に晒されたときに、人がまた大きく成長することと同じ

つまり、二つ以上の違う考え方が存在して、そこに引き裂かれるときに人は成長するのだと言える

逆に言うと、一つの価値観や考え方の下にいると、大きな成長が望めない

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つまり、「教育」に「資本主義の考え方」が入れば入るほど、価値観のズレが世の中から消えていき、ひいては人が成長する機会を奪っていくのだと

・・・世の中に子どもっぽい振る舞いをする人が多くなったと感じたら、それは・・・

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この本を読んで、「資本主義」自体は有用であるが、ただ「教育」なり「医療」なり「司法」や「政治」と言ったものは、そもそもの出自が違う以上、「資本主義」とは別の価値観やルールでそれぞれが動くのが、一番全員がメリットを享受できるんだろうなと

その「それぞれ違う価値観」があることを受け入れて、それに引き裂かれることを引き受ける人「大人」が、ある一定程度いないと、社会自体が持たないんだろうなぁ・・・

結局、いつの時代も自分が大人になることを引き受ける人がいて、その存在がひいては社会を存続させて、みんなを生き延びさせて来たんだろう

著者の仮定によると、大人は人口の17%必要らしい

その17%を確保するために、大人になる人を応援するために、内田先生は本を書いて講演をしているのだと思う

教育者であり、日本が大好きだから