ココロミにきみ

本と体とプログラミング

本 街場の文体論

「街場の文体論」内田樹さん著

文章を書く・話すことについて、考えるヒントをたくさんもらえる本です

そのなかの一つのトピックから、仮説を思いつきました

「(紙の本ではなく)電子書籍で本を読むことに慣れた世代は、年を取っていったときに、紙の本に慣れた世代よりも、早く本が読めなくなる

・・・がーん

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いやー恐ろしいですねー、ほんとにそんなことがあるんでしょうか?

自分が紙本世代だからっていう訳ではありませんよ??

ちょっと説明が長くなりそうですが、内田さんの話から展開していこうと思います

(今回は著者の新しい視点の話だけです)

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内田さんの考えによると「紙の本を読む」という行為は、単に現在読んでる自分がいるのでなく、

「” 読み終えた後の自分 ” と” 今読んでる自分 ” の共同作業である」

というのです

たしかに、すごく面白い本を読んでいるときに、左手が感じる残りのページの少なさが、とても切ない思いをさせるのは経験にあります

「終わってくれるな〜、この本の時間にもっと浸っていたいんだ!」って思いは、たしかに読み終わってる自分がありありと想像できていることの裏返しです

* * *

また、つらい仕事や作業をしているときに、終わったあとの(ビールを飲んでる)自分を想像しつつ、そこに向かって現在をこなすという感覚も分かる気がします

そう考えると「何かをすることは、その何かを終えてる自分と、今それに向かっている自分の共同作業である」という考えは、経験的に正しい気がします

街場の文体論 (文春文庫)

街場の文体論 (文春文庫)

 

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逆を考えてみると、終わり時間が分からない(示されない)仕事に今から取りかかれ!と言われたら、すごく怖い気がします

新人の頃に仕事が大変なのは、仕事の中身が分からないことよりも、その仕事の終わりの感覚が分からないのが実は一番負荷なのかもしれません

そう考えると、私たちが何かをするときにパフォーマンスを最大に発揮できるには、終わったあとの自分が想像できてないとダメなんじゃないかと

* * *

さらにこの考えを延長すると、生きること自体も同じ枠組みにあるんじゃなかろうか?という思いに至ります

以前、横尾忠則さんの本「創造&老年 横尾忠則と9人の生涯現役クリエーターによる対談集」の感想を書いた際に、読んですごく思ったのに書かなかった感想が「死後の世界を信じてることが長寿の秘訣の可能性」でした

・・・書いたら怪しすぎるし!

しかし今回の内田さんのアイデアから考えれば、死後の自分を具体的に想像できるほど、今の生が豊かになる、つまりは長寿になるんじゃなかろうか?

そういう研究とかあったりするんだろうか??

* * *

さらに考えを発展させると、昔の人たちが「死後の世界を、地獄や天国として想像した」のは、何も倫理観を高めるためとか・現世が辛いことへの慰めではなて、「死後の自分をしっかり想像しておくことで、今生きることを良くするための方便」だったかもしれないと

この視点から現代を見ると、「宗教が力を失い死後の視点を喪失したことで、今の生が希薄になっている人が多くなった」のかもしれません

昔の人の知恵はやっぱりすごいかも・・・長くなったので次回に続きます