ココロミにきみ

本と体とプログラミング

本 学びを結果に変えるアウトプット大全

 「学びを結果に変えるアウトプット大全」樺沢紫苑さん著

この本ではないが養老孟司さんの言葉に、

「文武両道とは、勉強と武道の両方に秀でることではなく、文(INPUT)と武(OUTPUT)を回すことが大事なんだ」

というものがあった

その例として、赤ちゃんの発達過程の度合いの話がある

赤ちゃんはハイハイをし出すとぐんと発達し出すのは、「自分が動く(OUTPUT)すると、目に入ってくる景色がかわる(INPUT)」のループが回り出して、赤ちゃんの頭のなかに、「この世界がどのようになっているかのモデル」が構築されるからだと

この話から考えると、寝たきりになると人がいっきに衰弱していくのは、体力の話だけでなく、INPUT & OUTPUTループが回せなくなることが、人間にものすごいダメージを与えているからかもしれない

閑話休題

 

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この本では、そのINPUT & OUTPUT ループが大事なことは前提の上で、

「じゃあ、アウトプットの仕方をとことん考えて、百科事典のようにリストアップするからみんな実行してよね?」ということが書いてある 

学びを結果に変えるアウトプット大全 (Sanctuary books)

学びを結果に変えるアウトプット大全 (Sanctuary books)

 

 記憶に残ったのは、INPUT & OUTPUT の比率を変えるんだ!ということ

「 INPUT & OUTPUT = 3 : 7 」が効率がいいんだと

ちょこっと前提知識みたいなのを仕入れたら、あとは実際に何かを作ったりしながら、必要に応じて知識を吸収していくやり方がいいんだと

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これはすごく実感がある話で、

「やりたいことが先にあって、それを前のめりにスタートさせて必要な知識は途中で拾っていくという時は、アウトプットが面白いものになる」

逆に

「知識を一通り仕入れてから、その知識のなかでできることをしよう、という時のアウトプットは一見整っているけど、面白くない」

これはアウトプットの話というより、生き方の話ではないかとも思う

 

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脱線さらに:この本を読む一年前に、2ヶ月ほどヨーロッパを旅したとき、

「サービスを受けるときに、受け手側に残された自由度の差」

というものをすごく実感した

例えばヨーロッパでホテルに泊まったときには、こちらから「私は○○がしたいが、どうしたらいいか?」と尋ねないと、なんのサービスも起こらない

一方で、勝手にやりたいことをやっていても、それが「人間として普通の行為だよね」ということには、ほとんど文句を言われない

受け手側のアウトプットを尊重しているし、求められているとも言える

このギャップを感じたということは、「日本では受け手側の自由度が許されてない」=「受け手にアウトプットが許されてない」社会なんだと

・・・この本が必要とされるわけだ

閑話休題

 

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この本はある意味「執拗」に、アウトプットを日常生活に取り入れる方法を限りなく書いている

そんなにたくさんやらんでも、ええんちゃう?って最初は思っていたが、

・・・「いや、これは必要だ」と感想を書いてる途中に気づいた

これは「意識の扱い方の本」でもあって、「意識では何が大事なのかを決められない」という話が前提なんだと

つまり、「アウトプットが大事」ということを「認識」しても、「脳」にとっては「まだ大事になっていない」ということなんだと

脳に「アウトプットが大事」って分かってもらうには、まさに「行動」しかない

この本のように、ひたすら「アウトプットがサイクルに入っている人生を送る」ことで初めて、脳が「ああ、アウトプットってどうやら大事らしいね、覚えておくよ」ってなるんだと

そうなったら、あとはほっといてもアウトプット中心の人生を送れるようになって、著者のいう幸せな人生を送れるようになって、この本をめでたくご卒業になると

この感想もその一つ