「20歳の自分に受けさせたい文章講義」古賀史健さん著
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以前ここではなない所で、親しい人に「お前のブログ、最近つまんなくなったね」と言われてドキッとした
テーマは何であれ常に想定読者はたった一人、別れた彼女
つまりは、彼女への読まれないラブレターとして全ての文章を書いていたから
その未練がなくなった頃、過去から解放されたと同時に言葉が力を失った
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その経験からこの本を読むと、筆者の言うことは本当によくわかる
伝えたい相手である「読者」をきちんと一人想定すると、その人がどんなときにこのブログを読むだろうか?どんな気持ちで読むだろうか?どんなスピードで読むだろうか?と自然に考える
あの人は好きなものは何で、この言い回しは伝わらなくて、理由がないと聞いてくれないとか常に自分の中にリアルな基準ができる
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また、遠く離れた人に今の自分の思いを届けたいなら、当たり前だけど感情はすべて言葉に翻訳するしかない
その時は抽象的な言葉を並べても、共通点がもうなくなってしまった人には届かない
それよりも例えば、細部を語ることで伝わることがある
「スピーカーにガガッとノイズが入ると、ビデオチャットをしていた頃を思い出す
夜、仕事から帰って、14インチのノートブックを開くと画面の右側にはあなたがいて、いつも明日の仕事の準備をしている真剣な顔が荒い粒子で映っていた
まだ通信も悪くて、途切れ途切れの音声ではあったけれど、スピーカー越しに聞こえる生活音さえも愛おしかった」
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自戒も込めていうと、文章を書くのは自分が気持ちよく言葉を発することは目的ではなくて、それを「相手が読んで・受けとって・気持ちを動かしてくれること」がゴール
想定する相手がきちんといれば、思いを伝えるためにどんどん工夫を凝らそうって思えるだろうし、勝手に文章は上達していく
逆に言うとたった一人の伝えたい相手がいない文章には、何もないんだろう
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伝えたい相手を見つけることだけは自分でやらなければいけない
自分が心から何かを伝えたい人をきちんと思い浮かべてから、書く技術はこの本で習えばいい