「神は詳細に宿る」養老孟司さん著 感想3
養老さん曰く
ヒトが使う情報系には2つある
遺伝系と神経系
言われてみるまで気づかなかった
とくに神経系が情報を扱っていると意識していなかった
自分の言葉で言い換えると、
・化学物質による「情報」の保存を扱う遺伝系
・脳やホルモンなど、刺激や反応を電気信号と化学物質で「情報」として使う神経系
それぞれ 血と氏に相当するわけで、昔の人はちゃんと2つの情報系を意識していたんだなと、負けた感
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生き物はどちらの情報系を最初に扱うようになったんだろう
仕組みの単純さからいったら神経系が先じゃないかと思うけど、もし神経系が先に発達したとしたら、かなりヘンテコな生き物だったかもしれない(失礼!)
自己複製をするための「情報」を内部に保存できないわけだから、周りの環境を鋳型「情報」として、そこに神経系の反応を繰り返すコトで複製を作るとか
案外、生き物の定義は広くなれるかもしれない
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話を最初に戻すと、私が神経系を「情報系」として「認識」していなかったことは、個人的な迂闊さもあるけど、人類共通の盲点なのかもしれない
つまり、「認識」を担っている脳自体への自己言及は、その根っこの部分が「認識の認識の認識の・・・」という無限ループになって闇の中に消えていくから、最後までスッキリ分かることができない
つまりは神経系の存在を「前提条件」(=見ないもの)としてしまう
養老さんは昔に「唯脳論」でそのことを言ってるのだろうけれど、その理屈を納得している人でも、普段の思考の際には無意識に神経系の話を除外しており、「自分の外に客観的な事実がある」という話をする
例えば科学とか