ココロミにきみ

本と体とプログラミング

本 自分の時間を取り戻そう

ちきりん著「自分の時間を取り戻そう」

ちきりんシリーズは読んどけーで読み始めたら、危機感を覚えることになった。「自分の時間はちゃんと取れてますよ」と思ってる人も「生産性」という視点で自分の行動を見直すためにはとてもお勧めの本。

たとえばちきりんは、”現行の学校教育は生産性が低いので、もっと短時間で済ませる方法が存在するんじゃないか?”と主張する(その真偽はともかく)。それに対する反論として”学校教育は(存在する)価値がある”という主張をする人がよくいると。

「ないよりあれば価値があること」と「生産性の低いこと・高いこと」の混同を多くの人は(僕を含め)してるんじゃないだろうか?

自分の時間を取り戻そう―――ゆとりも成功も手に入れられるたった1つの考え方

自分の時間を取り戻そう―――ゆとりも成功も手に入れられるたった1つの考え方

 

他人の「生産性」が低くてもアレコレ言うことではないのだけど、ちきりんに言わせると「生産性」が個々人の間でおそろしく開いていく時代であるというのが、過去と違うと。

つまりこれからの世界が、「AIが同僚」の時代だと考えるなら、まずは仕事で生産性を上げないことには、自由な(私的な)時間を作ることすら難しくなっていく。だってAIや選択と集中で生産性をどんどん上げていく人と競争するのに、長時間働くことで対抗するしかないから。

そのために絶対終わらない量の仕事を自分に課したり、いつもの仕事を半分の時間で無理やり終わらせるという方法論が紹介されていた。やってみる価値はある。さらには先駆けてAIを自分の仕事に組み込む方法を考えるのもありだと思う。

 

蛇足ながら、逆になんだかこの「生産性」があまりに強い指標になり過ぎるきらいもしてきた。自然選択説に反論が思いつかないように「生産性」と同等クラスの指標が見えない。いきものは「生産性が高い」ことが根本的に好きなんだろうか。