ココロミにきみ

本と体とプログラミング

本 日本の覚醒のために

「日本の覚醒のために」内田樹さん講演集。

剣というのは、手を延長した道具ではありません。それを手にすることで心身が調うという装置です。・・・(中略)・・・剣を「依代」として巨大な自然のエネルギーがこの身体の流れ込んでくる。 (文中より)

武術をやったことのない人間としてこの視点は新鮮だった。自分の外部に主を置くことで、自然の力を知覚しやすく、利用しやすくするんだろうか。

勝手に妄想を続けると、この「剣」って、村上春樹さんにとっての「テキスト」ではなかろうかと。テキストという「依代」があることで、自然の力を村上春樹という媒体を通じて出現させることができる。その自然の力を、マラソンや水泳やその他なにかで調えられた村上春樹さんの心身が制御し、テキストという形に納めこむ。おそらく村上春樹さんの文章を書くという行為は、限りなく武術の振る舞いに似ているんじゃないかと思う。

日本の覚醒のために──内田樹講演集 (犀の教室)

日本の覚醒のために──内田樹講演集 (犀の教室)

 

邪悪さや嫉妬や暴力や怠惰、あるいは自己憐憫、自己規律の弱さ、そういったものは、そこを通じて「非人間的なもの」が侵入してくる回路なんです。(文中より)

これは村上春樹さんのリトルピープルなどの話から流れてきたものだが、よく村上春樹さんが言っている、「地下二階の闇は危険なんです。そのまま行って帰って来るのには技術が必要です」はこれなんじゃないかと。

つまり(自然の)闇のなかには善も悪もあって、自分がその通路となる以上は、その善・悪あるいは他のものまで、村上春樹という回路を通じて出現させてしまう可能性がある。だから、一切の邪悪さや嫉妬などを持たないでいられる精神状態を維持して、地下二階の暗闇に降りていく技術が必要ってことなんじゃないだろうか。

もう一つは善なるものを呼び込む技術なんだろうけど、それが何かはわからない。内田さんはわかってるんだろうか?

* * *
話を本に戻すと内田さんが伊丹十三賞をもらったときの講演はとくに面白かった。伊丹十三という人をよく知らなくても、その彼が背負った(と内田さんが看破した)スケールの大きすぎる ” 荷 ” は、そういう問いかけの存在自体が新しかった。

なにかとんでもなく大きな課題を背負うと、それが「依代」なって、自然の力を自分という媒体を通じて出現させることにつながる、とも言えるかもしれない。