ココロミにきみ

本と体とプログラミング

PYCON JP 2017に参加(プログラミング勉強会)

PYCON JP 2017というプログラミング勉強会に参加した経験をまとめておきたい。

今年2017年は参加者とスタッフ合わせて800人超が早稲田大学の一角に集まって、二日間に渡る発表や交流を行った。

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PythonというプログラムはAIやビッグデータの処理から、IoT(電子機器の操作)まで幅広く対応しているのが特徴で、それだけに演題テーマも多岐にわたっている。そのため200人は入る教室が3つ同時に稼働して、それぞれPythonに関連した最先端の知見や、業務や研究での利用方法など30分間説明しまくる。話の途中でも30分ジャストで問答無用に切られるのが心地いい。演目の1/3は英語なので大変!!

 
印象に残った1つは、Amazonが提供しているサーバを借りて、そこにプログラムを乗っけて、手持ちのパソコンはデータの窓口だけをするという処理の仕組み。概念としては知ってたけどそれを業務でガシガシ動かしている人の話を聞いたら、初めて聞く要素や名前が多すぎて、英語の発表よりもついていけなかった。。。
もう1つはIoT系の発表で、バックトゥーザ・フューチャーのドクの若い頃「キャラ」で、演目は何でもいいから彼に話をさせて、自由に動き回させることがPython界というか日本の幸せになるだろうと思える何かを持っていた。
 

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発表から視点をかえて会の周りに目を向けると、提供される弁当が美味しいのがけっこうすごい。5、6種類から選べて二日間ともランチには気合が入っている。さらには1日目の夜はパーティがあって料理とビールが振舞われるし(ベジタリアン向けやハラルもある)。3時のお茶もあるし、朝はサンドイッチ弁当も非公式に配られている。
 
そしてお昼の時間や休憩時間を通して、スポンサー企業との交流や求人募集が行われている。中身は知らない。
 
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とても刺激になったし楽しかったんだけど、やはり一傍聴者ではダメなことが分かった。他人に伝えるべきモノを持っている人はスピーカーになって壇上で話している。何かを持ってても発表審査に落とされた人たちがいて「落ちた人たちによる事前飲み会」まで開かれている。
誰でも何かを持っている人と繋がりたい。持ってない人は繋がれない。当たり前。本当にこの会を楽しめるのは自分から持ち出して何かを提供した人。

そのことが分かってから、基調講演の意味や、振る舞いの基準が分かった。Pythonというプログラムを使っている人たちが集っているのだけど、誰もが当事者意識を持って、勉強会も盛り上げて、Pythonというプログラム全般を盛り上げていかないと、Python界自体が没落していって、趣味や仕事自体がなくなってしまう。そんな恐怖感が底の底にありつつ、やるなら楽しくやろうよ!というのが弁当の美味しさに現れてたりするんだろう。
 

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二日目の基調講演はオープン・ソース・ソフトウェア(OSS)をみんなで作っていこうという話だった。話の内容より彼の問題意識が最初わからなかった。なぜ、OSSを手伝わないといけないの?というのが正直な最初の感想だったが、それは当事者意識がなかったがゆえの発想で、彼にとってはOSS当事者を一人でも増やさなければならないことは自明の理だったんだと。その当事者意識がPythonというプログラムに関わる人たちの根底にある発想だったんだなと。当事者意識を持った人たちの集まりならば、ちゃんと自分が属したら楽しいに決まっている。
 
明日は今回初めて自分が関われる、一日でプログラムを書いて何か成果をあげる「スプリント」という最後のイベント。何かを提供できるだろうか?