molingitのブログ

本の感想と体の感覚

本 「他人」の壁

『「他人」の壁』養老孟司さん、名越康文さん対談。

この手の本はさらっと読めばさらっと流れるし、ノートに書き写して読むと壁にたくさんぶちあたる。

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結論からいうと、「他人が分かる」なんてことを期待すると余計に物事はうまくいかなくなるよと。

おそらく人間の内面の大部分は無意識で、意識は氷山が海の上に出てる部分くらいしかない。その無意識の部分は自分でも分からないし、他人のはもっと分からないから、お互いの「違いのサイズ」すら分からない。それでも意識は「同じ」を見つけたがるので、わずかに見える意識の中から同じ部分を探して、「他人をわかる」という。

で、失敗する。

そしてこの ”意識 ” にとって「意味のある」ものだけを集めたのが、都市であり、最たるものがオフィスになり、会議室になる。そこには意味のないものは置かない。置けない。石ころが会社の中にあるとものすごく異物に見えるのはそのルールで見てるから。

ここからは感想なんだが、現代の先進国では多くの人が都市で、会社で長い時間を過ごして、意味のあるものだけに囲まれて、ちっぽけな意識だけを使って長い時間を過ごしている。

意識ばっかり使っているから「わかる」の範囲が小さくなり、きっと「分からないこと」が増えてるんじゃないだろうか?

二人が山へ行け、森行けと言っているのは、その場所で全身で「わかる」時間を過ごせば、「他人の壁」はそのままに、他人とうまく付き合っていくことができるだろうよと。

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 この本を読むときでも、さらっと読むとおそらく意識だけが働いて、 ” 今の自分にわかる所 =自分と同じ所 ” だけに反応して、だから早く読めてしまうんだと思う。書き写すと、「手」が、筆者と自分の思考のリズムやニュアンスの差を「写し間違い」という形で教えてくれる。つまり、” 今の自分と違う所 ” に反応できるようになる。

そしてこの「写し間違い」は言葉では解消されず、経験のうちに少しずつ埋まっていくものだと思う。