ココロミにきみ

本と体とプログラミング

映画 レッドタートル

スタジオジブリの最新作「レッドタートル」を観てきた。セリフが一切なく、絵だけの映画。ちょっとでも興味のある人は誰の感想も知らずにまず観たほうがいい。言葉がない分、他人の言葉の視点からしか見れなくなる。観た後でジブリの雑誌「熱風2016年9月号」の感想集を読むべし。

 島に流れついた男の一生が描かれている。男は島から逃げ出そうとするが、うまくいかない。大きな亀や島の「自然の意思」みたいなのが邪魔してるように思えた。逆に「その意思」はもしかしたら、ちゃちな筏で逃げ出そうとして男が無駄死にしないための慈悲かもしれない。

言葉ない映画は観客が自分のほうから何かを取りにいかないと、あっと言う間に終わってしまう、終わってしまった。必死に思い出そうとすると、灰色の島となぜかカラーで記憶に残る海。海が生きていて、島(=男の意識)は死んでいるのかもしれない。

島に閉じ込められた人生というのを考えてみる。そこに家族や友達がたくさんいたら、けっこう大丈夫なのかもしれない。それ、普通に日本で暮らしてるのと同じか。島に一人はつらい。二人が耐えられるミニマムか。三人はけっこう安心かも。男女の人数の振り分けも大事になるけど。

たとえいま日本で暮らしてても、また一緒に暮らす人がいても、一人だって感じてる人は多い気がする。そういう人はこの島の主人公の男と同じ。より辛いか。

 

レッドタートルの存在は何なんだろう。単純にいい奴とはとても思えない。いいとか悪いとかを超えてそうな気はする。そういうのに心を開いたら、なにか起こるかもしれない?求めていたのと違うレベルで何かが返ってくる象徴なんだろうか。

いったん、自分が受け取ったものをトコトン考えた後で、もう一度みたらきっと違う感想になるんだろうな。そして何年後かにまた観て。